「ヒトがいない、カネがない、仕事がない 社長、ネットがありますよ!」吉田和彦著

 社員30数名の印刷会社の二代目社長、吉田和彦氏がネットを活用したブランディング戦略について語る。

 不況の時代、社長は何をすればいいのか。具体的、そして網羅的に紹介されている、とても「使える」一冊であろう。

 社員を抱える経営者だけでなく、独立したての起業家にも当てはまる。

 吉田氏はかつて、会社の大黒柱として、とにかく寝る間も惜しんで、働き詰めだったそうだ。

 夜中までフォークリフトを操作し、肺炎をこじらせ病院から帰ってからも仕事。そしてなんと左目が見えなくなる状態にまで。原因はおそらく働き過ぎだろうか。

 そんな窮地を救ったのが、本のタイトルにもあるインターネットである。そして現在、吉田氏はネットを用いた社長ブランディングに成功しており、マスコミに取り上げられることも多くなっている。

 本書はそこに至るまでの、吉田氏のありのままのノウハウが惜しみなく公開されている。

 前半はいわゆる姿勢や習慣について。いわゆる成功哲学である。そして後半はネットを用いた具体的な戦略について言及される。

 ホームページの作り方に始まり、メルマガ、ブログ、SEOのやり方からプレスリリースの活用法にまで、とにかくあらゆるノウハウ満載の一冊となっている。

 網羅的である分、確かに一つ一つの項目はそこまで深くはない(SEOについてはかなり勉強になったが)。

 しかし、もしも「何をすればいいのかわからない」という状況であるならば、とりあえず書かれている範囲のことでもすべてやってみるのがいいだろう。

 個人的にはマスコミに売り込むノウハウがかなり参考になった。実行しようと思う。

“ヒトがいない、カネがない、仕事がない” 社長、ネットがありますよ!/吉田 和彦
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「NLPコーチング」ロバート・ディルツ著

 原題は「From Coach to Awakener(コーチから覚醒者へ)」となっており、ディルツ博士の真骨頂である「ニューロ・ロジカル・レベル」に基づいたコーチングの参考書。

 「ニューロ・ロジカル・レベル」とは、人間の変化や学習のレベルを6つの段階に分け、上位レベルは必ず下位レベルに影響するように体系化されたNLPモデルのことであり、ディルツ博士が概念化したものである。

 6つの段階とは、

1.環境(ガイディング)
2.行動(コーチング・狭義)
3.能力(ティーチング)
4.信念・価値観(メンタリング)
5.自己認識(スポンサリング)
6.スピリチュアル(アウェイクニング)

となり、望ましい変化をおこすには、各段階において適切な援助が必要となる。

 本書では、それぞれのレベルにおける具体的なコーチング手法とその具体的なスキルが提供されている。

 

 通常、よく知られている「コーチング」とは、クライアントの「行動」に焦点を絞ったものであり、本書で言う「行動(コーチング・狭義)」がまさにそれに当たる。

 しかし、本書で取り扱うコーチングとは、それ以外のレベルをも含んだ広義の概念としてとらえている。

 まず、「環境」のレベルでは、クライアントのガイド役として、望ましい環境整備を整えていく。野球の試合にたとえると、球場、ユニフォーム、道具をそろえるところからスタートする。

 次に「行動」のレベルでは、クライアントのコーチとして、行動を観察し、望ましいパフォーマンスを発揮できるよう指導する。

 野球でたとえると、バッティングやピッチングのコーチがそれにあたる。

 「能力」のレベルでは、過去のパフォーマンスの改善よりも、むしろ新たな学習と能力の取得を目指すものとする。

 野球で言えば、勝つために必要なより高いレベルでの理解を促すものである。

 「信念・価値観」のレベルでは、まさにメンターとして、精神的な共鳴者として機能することになる。

 野球で言えば、勝つための精神的原動力を育てることが、これにあたる。

 「自己認識」のレベルでは、クライアントの全人格を認め、承認するスポンサーとしての役割が与えられる。
 
 野球で言えば、選手ひとりひとりの能力や価値を最大限に認め、自ずと最高の力が発揮できるよう後見することである。

 そして最後に「スピリチュアル」のレベルでは、クライアントが自らのミッションとビジョンにつながりながら、それ以外の人々に対する意識の目覚めを促します。

 野球で言えば、チームの一体感、さらに人生への奥深い教訓として機能することになる。

 このように広義のコーチングにおいて、まずは環境を整え準備をする段階から、自分を超えた存在との一体感やミッションにつながる段階に至るまで、その理論や背景から、「道具箱」としての具体的なスキル・ノウハウにまで、実に丁寧に解説されている。

 NLPに対する基本的な知識のない初学者や、プラクティショナーレベルにある人にとっては、若干とっつきにくい感じもあるが、本書はまさにNLPの目的である「目標達成」「問題解決」「人生の変化」を確実にもたらすための格好のバイブルと言えよう。

 
 もちろん私自身にとってもバイブルであり、常に手の届く位置にある一冊である。

ロバート・ディルツ博士のNLPコーチング/ロバート・ディルツ
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「もしも月がなかったら」ニール・カミンズ著

 内容的には直接関係ないのだが、以前に紹介したことがある木内鶴彦氏の「生き方は星空が教えてくれる」に引きずられて本書を手に取ってみた。

 木内鶴彦氏は彗星探索家として著名であるが、彼の名を一般にまで知らしめたのが、臨死体験中に見た世界の記述であろう。

 正直、その手記を「真実」だと鵜呑みにして読むことはないにせよ、ところどころ科学的な記述もあったため、それなりに興味深く読んできた。

 実際、環境問題や新技術への取り組みなどが評価され、講演活動も精力的に行っていることもあり、木内氏を信奉する人も少なくない。

 しかし、その中で月誕生の年代が1万5千年前であるという記述にどうも引っ掛かった。そして当時はすでに人類が誕生し、文化的な生活を営んでいたという。

 月はそもそも巨大彗星であったが、太陽に近づいた時、太陽熱によってガス化した水分が地球に降り注ぎ、その核の部分が地球の軌道に乗り月となったとする。

 そして降り注いだ水分が、地球に洪水をもたらし、今のような海になったと言う。

 話としては面白いが、どうも眉唾だ。

 そもそもその根拠が「臨死体験での自分の記憶を頼りに」であり、それが果してどこまでの信ぴょう性を持つなのか。

 木内氏の話によると、月の誕生は比較的最近であり、それ以前にも人類は文化的生活を営んでいたという言う。

 つまり月がない時代に人類は今のように生活していたのである。

 

 そこでたまたま図書館で見つけたのが本書である。

 そもそも今の科学的定説によると、地球の誕生が46億年前に形成されて間もなく、火星とほぼ同じ大きさの微惑星が地球と衝突して、その破片が地球の軌道に乗って衛星となったのが月であるとする。

 では、その月がなかったと仮定するとどうなるか。それを科学的に推論したのが本書の第一章である。

 結論から言うと、もしも月がなかったならば、

・潮汐力の減退により自転速度がずっと速く、一日が8時間となる


・強風が絶えず荒れ狂っている


・風の音で耳が使い物にならない(別の感覚器官が発達する)


・高い山は存在しない


・生命の進化も遅い


・生命が今の形で存在するのに決して適した環境ではない

となり、今、我々が生きていけるのも、数十億年前に生じた微惑星との衝突、それも微妙な角度による、単なる偶然の産物か、それとも創生主の意思かで作られた「月」のおかげなのである。

 このような科学者による緻密な推論結果と、一個人による臨死体験中の記憶と、どちらが信じるに値するかは言うまでもないであろう。

 木内氏の発言のすべてが誤りだと言うつもりは毛頭ないが、少なくとも科学的に矛盾が生じる発言に対しては、もっと慎重な態度を取るべきであろう。

 そしてそれを妄信する信奉者ももっと冷静な考えをもってもらいたい。科学的・常識的な定説が実は誤りで、超科学的・反常識的な説こそが実は正しいとするある種の人たちにありがちな思考様式には、大いに疑問を呈したい。

もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅/ニール・F. カミンズ
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「価値」を大切にする

自慢じゃないですが、私はよく「集客」や「キャンペーン」の呼びかけを頼まれます。

昔はほとんど「いいですよ!」と言って、主にブログで紹介していたのですが、ここ2~3年は少し慎重になっています。

一番の理由は例え無料のブログと言えど(実際はアドバンス月200円程度+プロバイダその他はかかっていますが)、それは「価値」であることを強く意識するようになったから。

そして私の紹介で少なからずアクションを起こされる方もいらっしゃいますので、その方々に対して絶対のおススメでない限りは紹介を控えるようにしています。

実はかなり以前、ちょっとした知人の約3万円のセミナーをブログで告知したことがありました。

そして私のブログ経由で5~6名が参加されました。

しかし、その主催者は「ありがとうございます」の一言もなく、「次回もお願いします」とだけ連絡をしてきたのです。

さすがの私もお断りしたのですが、「次回はキックバックしますので」と食い下がってきます。

当然、お断りしました。

今、その方のサイトを見に行ってみましたが、もうセミナーはやっていませんでした。

当然と言えば当然でしょう。

・ブログ=無料⇒価値がない

とは考えてないとは思いますが、それ相応の「価値」をしっかり認識できない、いや、それ以前に社会人としての礼儀のない人が、ビジネスで成功することは不可能なのです。

しばしば「ちょっと紹介するだけでしょ」、「ちょっと書くだけじゃないですか」と言われることがあるのですが、その「ちょっと」のために、今までどれだけの時間を知恵を費やしてきたでしょうか。

うろ覚えですが、こんな話があります。

ある金持ちの車が路上で故障してしまいました。

すぐに町の修理工に見てもらうのですが、誰もその原因を突き止めるできず、修理は困難を極めます。

そこである人が、名のある名修理工のことを思い出し、その修理工に車を見てもらうことにしました。

その名修理工は小さなハンマーでエンジンを軽くたたいただけで、瞬く間にエンジンは復活したのです。

喜んだ車の持ち主は、その名修理工に修理代はいくらかたずねたところ、

「千ドル」

と返事が返ってきました。

車の持ち主は激怒して、

「オマエはハンマーで一度叩いただけじゃないか!ぼったくりもいい加減にしろ!」

と叫んだのですが、そこで名修理工から次のような明細書を手渡されます。

「ハンマーで叩いた費用1ドル、叩く場所を知っていた費用999ドル」

車の持ち主は大笑いして、名修理工に千ドルを支払いました。

・・・これが「価値」の費用です。

ちょっと暴露しますが、昨年末、拙著の出版に際して「アマゾンキャンペーン」をさせて頂きました。

たくさん人の応援のおかげで、総合1位に輝くことができ、そのお礼をブログ上で述べさせて頂いた時のこと。

とりわけ阿部敏郎 さんと、鳥居祐一 さんには、直接的なご支援・ご指導を頂いたこともあり、ブログ上でも特に名をあげてお礼を書かせて頂きました。

すると、昔からの読者さんである、ある方から、

「応援する気持ちはみんな一緒なのに、阿部さんや鳥居さんだけ特別にお礼を言うのはおかしい。キャンペーンのためにブログを立ち上げた人だっているのに・・・」

と、ややお叱りを受けてしまいました。

もちろん、応援してくださった方への感謝の気持ちは忘れたことはありません。

しかし、その時のお礼の記事は、阿部さんや鳥居さんが、私に「価値」を提供してくださったことへの、正当なお礼の気持ちとして書かせてもらったのです。

一日一万以上のアクセスのある阿部さんのブログと、昨日立ち上げたばかりのブログと、同じ「価値」があるとは到底思えません。

例え気持ちは同じであっても、「価値」の違いは認めざるを得ないのです。

仮に私がその「価値」を軽視して、阿部さんや鳥居に対する特別なお礼を言わなかったら、それは不誠実と言われることでしょう。

それぞれのお気持ちに対しては、また改めて感謝の気持ちを伝えるとしても、直接的な影響力、つまり「価値」とは別物であると考えることも必要な時があります。

とは言うものの、そのさじ加減は難しくて、こっちを立てれば、あっちが立たず、、、みたいなところがあるのも事実。

最終的には私の「人間性」と言われれば返す言葉もないので、これからも精進させて頂きたいと思っています。

「価値」を考える。

これまた余談ですが、私は最近、会社を立ち上げました。

その際、会社名、コンセプト、ロゴをとあるベストセラー作家の方が、考え、作成して頂きました。

それに対しては、その方の私に対する「厚意」として提案して頂いたものだったのですが、そのことをブログに書いたところ、

「無料でやってもらったんですか?」

みたいな声を頂戴しました。

「大きなお世話」な話ではありますが、確かに最初は「無料でいい」と言われました。

ですが、すべて出来上がった後、私の方から「有料でお願いします」と申し出たのは、言うまでもないこと。

つまりは会社名とロゴはおそらく一生の付き合いになるもの。

その「価値」に対して「無料」で済ますのは、まず私のためにもなりません。

そして提案してくださった方の「価値」をないがしろにすることにもなります。

私は自分自身の「価値」を軽く見られるのがイヤです。

だからこそ他の人の「価値」を大切にしたいという気持ちも強いのです。

そして「価値」を大切にすることは、あらゆるビジネスの基本だと思うのですが、いかがでしょうか?

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独立奮闘記(20) ~私とブログ ~ (2007)

実は2回程度で終わらすつもりが、4回(前編・中編・後編の前編・後編の後編)と長くなってしまい、アメーバ限定記事が増えてしまったこと、申し訳なく思っています。

なぜ、わざわざアメンバー限定記事にしているかと言うと、単純に検索エンジンに引っかかって欲しくないから。

では、なぜ引っかかって欲しくないかと言うと、ソースがよくわからないから。

でも実在する人物には違いないのです。知り合いの知り合いレベルですので。

そこで、もしその人物が検索エンジンなどから見つけてしまえば、「これ、オレの話じゃん」なんて思われると、何かと面倒にはならないかと。

ちっぽけな話ではありますが、実は今まで、数回、私の文章が2チャンネルやヤフオクにそのまま使われたことがありました。

それによって、ちょっと迷惑をかけたこともなきにしもあらず。

なので例えブログと言えど、文章にはかなり気をつかって書いているつもりです。

それでも喜んで頂ける記事を書きたいという気持ちが勝るため、そんな時に「アメンバー限定記事」ってシステムは実に有りがたいと思っています。

だからこそ「アメンバーであることをナイショにする」という状態での申請はお断りしたいわけです。

なぜに「ナイショ」である必要があるのか。

こっちは堂々と本名もさらして書いているのに、単に読むだけなのに「ナイショ」にしたいのですかって!

それじゃあ、あんまりですもんね。

そんな話になりましたんで、「私とブログ」ってタイトルで何か書こうかと思います。

「独立奮闘記」とは直接関係ないかもしれませんが、実のところ、ブログがなかったら独立もしてないだろうから、やっぱり「私」とは切っても切り離せない関係があるわけです。

ブログって言葉を初めて聞いたのは、2004年5月頃。

忘れてないってことは、よほど運命的な何かを感じたのかもしれません。

私の高校の同級生がサイトを立ち上げていて、私も5月から「かたみち切符 」なる旅行・音楽サイトを完成させたばかり。

その同級生のサイトを「サクゴンウェブ 」って言うのですが、高校卒業以来会ってないし、なつかしい思いで毎日チェックしてたんです。

特にその中の日記 があって、その中に

「ブログって言葉見かけるけど、知ってないと恥ずかしい?」

みたいな記述があったのです。

それから間もなく、その同級生はライブドアでブログを初めて、私もとりあえず、そのブログとやらをやってみようと思ってヒットしたのが「エキサイトブログ」でした。

その時はライブドアもエキサイトも違いがわからず、単に「ブログ」として始めただけ。

初めて見たのがたまたまエキサイトだったからで、それがもしライブドアならライブドア、グーならグーを使っていたと思います。

その時はすでに「日記サイト」で日記を書いていたのですが(2004年5月から)、間もなくエキサイトにすべて移植。

それが「かたみち-日常的雑文」でした。

そしてその「日常的雑文」は2005年1月に「宇宙となかよし 」という名に変わって、今に至るわけです。

2004年8月の段階でのアクセス数は20程度。

9月に突発的に50を超えた時、心臓がドキドキしたのを覚えています。

「50人も読んでるのか~うえ~!」

みたいな感じで。

ちょうどその頃、滝行も始めていて、本格的にはまり込んでいったのが10月頃。

その辺からだんだんとブログがスピリチュアルになってきて、アクセスも増えていきました。

そして2005年2月、まだ会社員だったのですが、「21日滝行」なるものをしている時、みるみるうちにアクセスが上がって、そろそろ100に到達するんじゃないかってとこまできたのです。

その頃はかなりオカルトな記事を書いていて、完全にオカルトマニアが集まってきました。

霊を見た、幽体離脱をした、、、などの話ばかりしてましたもの。

私も完全にスピリチュアル、、、というよりオカルト路線に入っていて、3月には会社を辞める表明。

その頃、福岡にしてはかなり大きな震災がありました。

会社の事務所内がぐちゃぐちゃになるくらい。

その時期、大きな地震は2回会ったのですが、私の知人の知人に地震の研究をしている人がいて、2回目の地震のことを前々から予告していました。

どうやら水面の上昇となにやら関係あるとか。

そんな話を聞いたものですが、2回目の大地震の前日、妙にそわそわ。

夜なのに、なぜか鳥の鳴き声も大きい。胸騒ぎがする。

とりあえず食器棚とかにテープを貼ったりなど、簡単に地震対策をして寝ました。

いや、寝る直前、ブログの最後の一文に、

「明日、福岡で大きな地震がくるそうです。万全の対策をして寝ましょう」

なんて書いて、それで寝ました。

すると、案の定、朝方に大きな地震。

対策をしていたことが幸いして、何一つ外傷はありませんでしたが、結構被害を被った人も多かったみたいです。

すると間もなく、いわゆる「船井関係」のサイトで私の「予言」のことが取り上げられ、にわかに「地震予知ブログ」みたいな注目のされ方をしました。

しかし、次の予言(?)が外れてからは、見向きもされなくなりました。

その時のアクセスは多かったのですが、それでも200前後だったと思います。

ただ、そんな事件もあったので、それまで読んでいた人は、私のことを「神格化」する人まで現れて、ある日など、手のひらの写真を写すだけで、

「すごいエネルギーです!」

みたいなメールをよこす人まで出てきました。

今思うと、「ふん・・・」と一蹴するのですが、「エネルギーが強い」と言われて気を良くした私は、一時期、本当に「そっち系」に行こうか考えたこともありました。

いわゆる「教祖系・・・」と言いましょうか。すいません。

でも、あの時は、会社を辞めるのは、スピリチュアルな情報を広めるためなんだ!

とか真面目に思いましたから。恥ずかしながら。

そんな感じで、会社を辞める前から、私はブログと切っても切り離せない関係になり、率直に言うと、ブログが私に会社を辞めさせた・・・と言っても過言ではないでしょう。

そして2005年6月から始まる「独立奮闘記」を支えたのも、他ならぬブログ。

そして今、「アメブロ」という、新たな世界に入りつつある、、、そんな今日この頃なのだ。

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