【考えうる限り最悪の事態を想定する】

達成したい目標、叶えたい願望に向かって突き進んでいる時、必ず目の前に立ちはだかる壁が現れます。

せっかく尊い夢を持っているのに、ある種の必然とも言える「お試し」に屈してしまうのはあまりにももったいないことでしょう。

そんな時に考えるといいのが、

「考えうる限りの最悪の事態」

です。

例えば飛び込み営業をしていたとします。

意思決定者である社長は扉の向こうにいます。

しかし、その前には受付嬢が立ちはだかっており、アポなしでの面会はことごとく阻止されます。

そんな時、どうすれば社長に会うことができるのでしょうか。

もちろんそのためのテクニックはいろいろあるのでしょうが、確実に社長に会える方法が、たった一つだけあります。

それは、

「進む」

ということ。

つまり受付嬢の阻止などモノともせず、笑顔で当然のように目の前を通り過ぎ、元気よく社長室の扉を開ければいいのです。

では、その際、考えうる限りの最も最悪な事態とは何でしょうか。

それは意外にも、

「受付嬢の前に戻される」

ということ。つまり、今立っている場所に立ち戻るだけなのです。

つまり、進んでしまえば、元に戻される可能性はあっても、そのまま社長と面談できる可能性を捨てる理由はないのです。

もしも、その方法で1割の確率で面談成功したとしましょう。

とすれば、10回やれば確実に一回は面談できるわけです。

私のケースではこんなことがありました。

2006年2月15日前後、私の全財産は3万円になりました。

その時ちょうど、ライフワークである「100日滝行」をやっている最中でした。

さあ、どうしましょう。就職活動しないとピンチです。

そこでこう考えます。

「もしも100日滝行を続けたところで、考えうる最悪の事態は何だろうか?」

と。

すると、家賃が払えなくて保証人(親)に連絡がいく、カードが一時的に止められる、、、くらいしか出てこなかったのです。

両方とも大したことはありません。命を取られるわけでもないし。

しかし、100日行を断念したら、一生の後悔になる。その方が大ごとです。

その結果、奇跡が起きました。

突然、単発の仕事が入ってきて、支払い前に30万円が振り込まれたのです。

急場をしのげました。人生ってもしかしたらこんなもの

ただし、考えるだけではなく、きちんと行動し、結果に結びつけることを忘れてはなりませんが。

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名刺・プロフィールの不思議

これまでいろんなセミナーや会合に参加したことがありますが、その際、一般的には名刺交換をします。

そしてしばしば名刺を見て驚くことがあります。

「なんとたくさんの資格をお持ちなんだろう!」


「なんとたくさんのセミナーに参加されてるんだろう!」

しかし、驚くことはそれだけじゃありません。

「なぜ、こんなにたくさんの資格を持ち、セミナーにも参加しているのに、それで食べていけてないのだろう!」

ということ。

皮肉った言い方かもしれません、率直にそう思うのです。

名刺に書かないまでも、プロフィールには所狭しとぎっしりと資格や参加セミナー歴が書かれています。

ただ、それでもし、その道でバリバリ食べているのなら、それなりの説得力は感じます。

しかし、そうやって名刺やプロフィールにぎっしりと書かれている人に限って、食べていけてないのです。

多いのが、

・〇〇認定コーチ

・〇〇ヒーリング修了

・〇〇レイキマスター

・〇〇式NLP修了

・〇〇セラピー修了

・〇〇ワークス修了

など。

いや、これがもし、

・弁護士

・医師

・公認会計士

・税理士

・中小企業診断士

・博士(PHD)

・一級建築士

・技術士

などの国家資格、またはそれに準じるものであればわかります。

それなりの説得力、効果は感じられます。

しかし、どこそこのよくわからないコースの認定を受けたとか、セミナー受講歴まで書くのがよくわかりません。

正直に言います。

そのような名刺、またはプロフィールを見ると、私はその人を、、、「カモ」なんだと判断してしまいます。

つまり、いろなんセミナーを受けるだけ受けて、それで食べていけてないばかりか、回収さえしていないなんて。

・〇〇ワークス修了

なんてのを肩書きに書いている時点で、「私は〇〇先生のカモになってるんですよ~」とカミングアウトしているように思ってしまうのです。

おそらくセミナー受講歴を書くのは、「私はこれだけセミナーに参加しているのだから、それなりの知識や技術がありますよ」ということをPRしたいのでしょうが、その効果は極めて薄いどころか、マイナスにしかならないと感じてます。

〇〇先生へのブランディング効果はあるかもしれませんが、それによって自分自身の相対的評価を下げてしまうと思うと思います。

私なら、「この人のセミナーよりは、〇〇先生のセミナーに出たいなあ」と感じてしまいますから。

それよりは、

・〇〇セミナー主催

の方が、よっぽどハッタリにもなるんじゃないかと。

もちろん自分が何をしているか相手に知ってもらう上で、資格を書くのはわかりますし、むしろそうすべきだとは思います。

ただ、それ以上に、「ハク」にもならない資格、認定、受講歴を名刺やプロフィールに書き連ねるのは、もしその道でやっていく「信念」があるのなら、やめた方がいいのでは。

自分自身のブランドを本気で強化したいのであれば、まずは名刺、プロフィールの見直しをし、余計なものは削除、そして本当の自分のブランド価値を高めるように昇華していくとが必要だと思われます。

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独立奮闘記(22) ~あの話は本当だった~ (2007)

2007年12月。東京での3回目のセミナーを控えているのですが、早くもネタ切れ。

もちろんやろうと思えば、NLPネタなど、いろいろあるのですが、何のオリジナリティもなく、これが求められてるとは思えませんでした。

参加者はすでに満員御礼。しかしネタがない。ある種、贅沢な悩みではありましたが、それでも真剣な悩みには違いありませんでした。

ある日曜日、大阪で受講していたNLPセミナーが福岡にやってきて、私はそこのリソースパーソン(お手伝い)として参加することになっていました。

セミナーでは最初に参加者全員が何かプレゼンする時間があり、私も一受講生として前で何かお話したと思います。

そしてその日の昼休みのこと。

たまたま北九州から振り替え受講に来ていた菊池さんという男性が私に話しかけてきました。

「石田さんは、ブログとか書いていますか?」

「あ、はい」

「なんて言うブログですか?」

「え?う、宇宙となかよしってブログですが・・・」

「あ、やっぱり、読んだことあります」

「え!本当ですか!ありがとうございます!」

「石田さん、加賀田晃先生はご存知ですよね?」

「は!はい!もちろん!」

「私、前の会社で、加賀田先生の研修を受けたことあるんですよ」

「・・・え!!マ、マジッすか!!!!!」

DVDでしかその存在を知ることのなかった、あの加賀田晃先生の実物と接したことのある人が目の前にいる。

俄然、テンションが上がります。

「と、、とりあえず、一緒に飯行きましょう!」

「僕も行っていいですか?」

そこで別の若いNLP受講生も入ってきました。

「ええ、もちろん」

てなことで、他の受講生とは離れて、3人で定食屋に行くことになりました。

申し訳ないのですが、もう、その若い受講生は話に入るスキがありません。

私が菊池さんに一方的に、それもかなりのハイテンションで加賀田先生のことを聞くだけ。

「でも、ところで、あのブログ書いているのが、私ってすぐにわかりましたか?」

「ええ、実は朝のプレゼンの時、加賀田先生の残像が見えてきて」

「え!マジッすか? そんなに似てますか?」

「ボクも加賀田先生の研修を受けてから起業したのでわかります」

「え!それは本当ですか?」

確かに一時期、相当に加賀田先生をモデリングしたものです。

そして、菊池さんも加賀田先生と、それも生の加賀田先生と出会って人生が変わった一人でした。

それもきちんと事業を成功軌道に乗せています。

いろいろなことを聞きました。

加賀田先生は本当にあんなテンションなのか?


本当に飛び込みで100%の契約率を誇っているのか?


誰も売ることにできなかったマンションを、たった一か月で一人で完売させた話は本当か?


原野商法で飛び込み契約率80%は誇張じゃないのか?

それはすべて本当でした。菊池さんが言うには。

その時、突然、天啓が降りてきました。

「そうだ!加賀田式を今度のセミナーに導入してはどうか!これがオレの原点なんだから!」

そうです。あのパワフルな加賀田式ワークを私のセミナーで再現するのです。

もちろん私のコンテンツは営業ではありません。

しかし、コミュニケーション全般において、あのワークはもしかしたら使えるかもしれない!

それから毎日、DVDを見まくって、そして何度も何度も反復練習。

テレビの前で、イスに座って、何度も何度も反復。

それも受講生としてだけでなく、加賀田先生本人に成りきっても反復練習。

久々の加賀田漬。

そしていよいよ東京セミナーの日がやってきました。

事前にブログ等で、今度のセミナーはすごいワークをすると宣伝していました。

すでに申込を閉め切ってはいましたので、申込済みの30名はワクワクです。

何が始まるんだろう。

会場はお台場。

最初は潜在意識の話など。

それから簡単なコミュニケーションのワーク。

そしていよいよ加賀田式人間関係構築法ってコンテンツに入っていきます。

最初に私が一人で実演しました。

すると、、、

・・・・・ドン引き・・

その空気が伝わってきました。

でも、ここで引き下がってはだめです。

「皆さん、我を忘れて今日のセミナーに挑むって言ったじゃないですか!」

確かにそのようにコミットメントして頂きました。

その言葉で会場が動き始めます。

そしてワーク開始。

徐々に会場の温度が上がってきます。

「やばい!面白い!」

参加者のボルテージも上がってきて、どんどんテンションが上がってきます!

もう、大爆発です!

私も水も飲まずにやっていましたので、休憩時間にはヘロヘロに。

後半も少しだけ続きをやって、その後はタイムラインなどNLP的なワークで締めくくります。

最後は部屋を暗くして、輪になって私のトークを静かに聞いてもらって終了。

セミナーは思った以上に大成功でした。

これです。これが私の原点であり、ある意味、最も伝えたかったこと。

その後の懇親会も大盛り上がりだったことは言うまでもありません。

やっぱり、悩んで悩んで悩み抜くと、潜在意識はきちんと答えを用意してくれる。

もしもあの時、菊池さんに会わなかったら、その時のセミナーはなかったかもしれない。

また、大阪の二の舞でぐずぐずになっていたのではないか。

普段は福岡に来ることのない菊池さんが、たまたま振り替えでやってきたのも意味があった。

私はこのことで、より一層、潜在意識を信じることができるようになりました。

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独立奮闘記(21) ~はやくもつまづく~ (2007)

「独立奮闘記」を続けます。

2007年6月9日の初めてセミナーをやり成功。その後も福岡、2回目の東京と大成功。

この道でやっていくんだと、次々とセミナーを企画します。

10月は大阪と名古屋。その2都市もあっという間に申込が埋まり、前途は洋洋かのように見えました。

しかし、ここで早くもつまづいたのです。大阪でのセミナー。参加費5,000円。

20名もの人にご参加頂き、東京と同じメニューでやるだけだと、意気揚々と始めました。

しかし、いつの間にか参加者との空気の乱れを感じ始めたのです。そして最後は何ともぐずぐずな展開に。

その声はすぐに反映されました。つまり参加者からメールによって。

5,000円の価値のないセミナーだ。期待外れだった

何が起こったのがわかりませんでした。東京ではあれほど盛り上がったに見えたセミナーが。

企業研修のプロからも認められた私のセミナーが。

結局、何かギクシャクしたまま懇親会、それでも多くの方が3次会の最終まで残っておられたのは幸いでした。

ただ、翌日の名古屋は大阪での反省を意識し、そちらはほとんどの方に喜ばれたようでした。

しかし、もう、大阪でやるのが怖い。そんな思いもよぎったほどです。

それから一人、密かに悩み通しでした。イケルと思っていたセミナー業。早くもつまづく。

最初からうまくいくはずはないと思い直しながらも、得た自信が崩壊するのは辛かった。

それでもまだ東京でのセミナーの要望を頂くし、12月には設定してしまう。

12月の東京は定員30名で4時間6,000円。

告知後4日で満員御礼となり、その半数はリピーターでした。

やっぱりイケルと思い直しながらも、重要なことの気がつきます。

それは、「コンテンツがない」ということ。

つまり何をやればいいのか分からなくなっていたのです。

それでもすでに参加者だけはいる。どうしよう、逃げ出したくなってきました。

12月に入ります。

セミナーまであと2週間。8月や10月と同じことはできません。

かと言って、もはやネタもなく、NLPやコーチングをそのまま教えても、またぐずぐずになる。

セミナーとは、つまり「生き方」である。

何もNLPやコーチング、コミュニケーションの技法を伝えたいのではありません。

それなら何も「私」がやる必要もない。他にもっと適任なトレーナーはいるでしょう。

参加者は何を求めて集まってきてるのか。

それはそもそも「私」という人間に会いに来るのが一つ。

その「私」から他では学べない何かを持って帰るのがまた一つ。

しかし、足元を見ると、そんなものどこにも見当たらなかったのです。

たまたま、ブログを書いていて、ちょっとだけアクセスもあり、呼びかけるとそれなりに人も集まる。

セミナーの入金も次々と入ってきているし、もはや辞めるわけにもいきません。

だからと言って、このままやっても、また大阪の二の舞か。。。

そのように悩んでいる時、またある出会いがありました。

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「成りあがり」矢沢永吉著

 日本における最重要人物の一人である矢沢永吉の20代までの自叙伝。ライターは糸井重里氏。
 文字通りの「成りあがり」の人生で、この時でまだ30手前でスーパースター。そして今、還暦を迎えた永ちゃんだが、今でもスーパースター。

 ずっと祖母に育てられ、生活保護を受けるほど貧しかった少年時代。ある日、金持ちの同級生からクリスマスケーキを顔に投げつけられ、頬に付いたクリームを早くなめたい一心で、その同級生に食ってかかることなく、立ち去ってくれることを祈ったと言う。

 ハングリー精神の塊で、とにかく何かで成功したかった。当初は工場の経営でもしようと考えてたが、ビートルズに出会って開眼。自分のロックシンガーになるんだと、夜行列車で広島から上京。その手前の横浜で途中下車をし、アルバイトなどしながら、メンバー探してはキャバレーなどで現場を踏む。

 今でこそスーパースターの永ちゃんだが、当時は特に音楽的才能があったわけでもなく、ただただハッタリで実量をつけていく(その辺はもしかしたら「カメレオン」の矢沢栄作にも引き継がれているのではないか)。

 ただ、永ちゃんはひたすら純粋だった。とにかくスターになるためには手段を選ばない。素人に毛が生えたようなバンドであっても、下手なメンバーを次々と入れ替え、自分の世界をつくっていく。最終的に結実したのが、あの「キャロル」だった。

 一世風靡した後、自分は「矢沢永吉」として再出発。今に至る。

 

 永ちゃんは一見すると、はちゃめちゃ行き当たりばったりのようにも見えるが、上京を決めた日から、自分を「見せる」ことについて長けていた。つまり自己プロデュース力。糸井氏が行っていたことだが、上京するのに、何も「夜行」である必然性はない。それも横浜で途中下車する必要もない。

 しかし、その方がドラマになるのだ。一般的に考えると非合理的な行動であっても、それはスターとしては必然だったのである。本書の後半で、成功したらヘリコプターのラジコンを作りたい、なんてことをしゃべっている。それもまた永ちゃんのドラマの筋書きにある。もちろんヘリコプターである必然性もない。自分自身を客観的に思い描きながら、成功までのドラマ、その後のシナリオを常に書き続けているのだ。

 専門的にはそれを「メタ認知力」と言うが、つまり、永ちゃんは自分を「メタ(上位)」から見る視点が、おそらく少年時代から培われており、すべてはドラマのシナリオとして、それを演じ続けてきたのではないか。

 本書は30年以上長く読まれ続けているが、今でも最高の「自己啓発書」として色あせることはない。

成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集 (角川文庫)/矢沢 永吉
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