特 設 随 筆

か み な り

雷の日日と月を断たれ、年に救われた

位相法対冲石田久宗

二〇〇八年八月十六日。私は山で雷に遭い、気がつくと、倒れていました。あとになってその日の干支を出したとき、背すじが、もういちど冷えました。

その日

宝満山、八月十六日

毎月恒例にしていた、宝満山の登山でした。朝、空模様は少し怪しかったのですが、今月はまだ登っていないからと、思い切って出かけました。登りはじめは小雨。七合目あたりから雨脚が強まり、岩陰でしばらく雨宿りをして、やむ気配がないので、そのまま頂上まで登り切りました。どうせずぶ濡れです。すぐに下山にかかりました。

雨はますます激しく、空が鳴りはじめます。下るほど森は深くなるのですが、一か所だけ、福岡の街を見渡せる、ひらけた場所があります。嫌だな、と思いながらそこへ差しかかった、その瞬間でした。空が光り、次に気がついたときには、山の中に倒れていました。あいだの記憶が、ありません。

意識は戻ったのに、右半身が動きません。何度か倒れ、杖にすがってようやく立ち、のろのろと下りはじめたところへ、上から下山者がひとり降りてきてくれました。ふもとの駐車場まで、一時間半。家に帰り着くと、出かける予定だった妻がまだ家にいて、そのまま救急病院へ連れて行ってくれました。カルテに書かれた文字は、「失神」。骨も折れず、外傷は左手の指の切り傷ひとつでした。当時の顛末は、その日のブログに生々しく残っています。

干支

その日と、私の命式

私の命式は、癸丑・甲寅・甲午。その日の干支は、戊子・庚申・戊子。並べてみます。

私の命式 日 柱 月 柱 年 柱 天剋地冲(地衝冲) 天剋地冲(天衝冲) 支合(水) 二〇〇八年八月十六日
天剋地冲 = 支が対冲、干も相剋。もっとも激しい分離 支合 = 結び・一致
支どうしが向かい合うように、下段は支を上にして並べています。

読み

日も月も、天剋地冲だった

日支どうしは、午と子。対冲です。それも地衝冲、現実から壊れる分離です。実際、先に壊れたのは体でした。倒れ、右半身が言うことを聞かなくなった。

月支どうしは、寅と申。これも対冲で、こちらは天衝冲、心から壊れる分離です。失神とは、精神が体から切り離されること。意識が飛んだ、あの空白の時間は、天衝冲そのものだったと見ています。

そして、干まで見て、もういちど冷えました。日柱は、甲と戊。木が土を剋します。月柱は、甲と庚。金が木を剋します。どちらも陽どうしの相剋。支が対冲で、干も相剋。これは天剋地冲という、対冲のなかでもっとも激しい形です。人生の曲がり角、衝撃的な変化をあらわすこの形が、日と月、二本ともそろっていたのです。

さらに言えば、私の寅午は火の半会。その日の申子は、水の半会です。火の器に、水の器が真正面からぶつかってきた日。水は火を剋します。そして思えば、その日、空で起きていたことも、そのままでした。大雨は、水。雷は、火。水と火のぶつかり合いが、天気になって、頭の上で鳴っていたのです。そもそも、行くべき日ではなかった。

一本の線

年支だけが、つながっていた

けれど、一本だけ、切れていない線がありました。年支です。私の丑と、その年の子。子丑の支合、水の結びです。

年柱は、先祖の場所。日も月も断ち切られたなかで、先祖との線だけが、つながっていた。思い返せば、私はベッドのような草の上に倒れていました。崖でも岩場でもなく。動けずにいるところへ降りてきてくれた下山者は、たまたま電気関係の仕事の人で、感電の話を聞かせてくれました。家に帰れば、出かけるはずだった妻がまだいて、そのまま病院へ。何かに、ずっと手を添えられていたような一日でした。ご先祖様に助けられたのだと、私は思っています。

巡り

こんな日は、どれくらいめぐってくるのか

気になって、計算してみました。年支が子になるのは、十二年に一度。その年のなかで、月支が申になるのは、おおよそ八月なかばからのひと月です。そのひと月のなかで、日支が子になるのは十二日に一度ですから、二日か三日。つまり、支の並びだけなら、十二年のうちの二、三日です。

さらに干まで含めて、戊子の年、庚申の月、戊子の日と完全にそろうのは、計算上、平均するとおよそ百二十年に一度。私はよりによって、その日を選んで山に登っていたことになります。位相法は、行き先までは教えてくれません。けれど、その日がどんな形の日なのかは、教えてくれます。私はあの日から、暦を見る目が変わりました。

対冲に、吉凶はありません。壊れたのは、事実です。けれど、命は壊れなかった。
日と月を断たれた日に、年の一本が、命綱になりました。
生かされている。あの日から、この言葉は、私にとって実感です。