「アルケミスト-夢を旅した少年」パウロ・コエーリョ著

「少年の名はサンチャゴといった」

で始まる冒険小説。

 これは羊飼いの少年サンチャゴがスペインからエジプトのピラミッドまで宝物を求めて旅する冒険小説。ページ数にして200頁に満たない短い物語だが、この中には人生ワクワクして生きるエッセンスが豊富に盛り込まれている。

「『おまえが誰であろうと、何をしていようと、おまえが何かを本当にやりたいと思うときは、その望みは宇宙の魂から生まれたものなのだ。それが地球におけるおまえの使命なのだよ。』」(文庫版p28)

 人は果たして本当にやりたいことをやっているだろうか。宇宙の使命を果たしているのだろうか。

「『おまえ何かを望むときには、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ』」(文庫版p29)

 この物語の最大のエッセンスとも言えるフレーズ。人が本当に何かを望むことに『熱中』しているときは、宇宙全体がそれに協力する。バシャールが「ワクワクするものこそ宇宙から与えられたその人の使命」と言っていることにシンクロする。斎藤一人氏が「『楽しい」を基準にして仕事をすれば全てがうまくいく」と言っていることにシンクロする。しかし、多くの人は自分のやりたいことを犠牲にして人生を終えていくもの。

「『パン屋は自分の家が持てる。しかし、羊飼いは外で寝なくてはならないからね。親たちは娘を羊飼いに嫁にやるより、パン屋にやりたがるものさ』」(文庫版p30)

 サラリーマンは家族を養える。しかし、フリーランスは明日の飯を心配しなくてはならないからね。親たちは娘をフリーランスにやるより、サラリーマンにやりたがるものさ、、、と聞こえる。

 
 かくして少年はピラミッドに向かって旅のだが、途中、泥棒に所持金を盗まれたり、戦争に巻き込まれたり、暴漢に出会ったりする。しかし、本当に何かを欲している時は全宇宙が協力する。少年は泥棒に所持金を全て盗まれたとき、こう考える。

「自分のことをどろぼうに会ったあわれな犠牲者と考えるか、宝物を探し求める冒険家と考えるか、そのどちらかを選ばなければならないことに気がついた。『僕は宝物を探している冒険家なんだ』」(文庫版p51)

 自分のことをリストラされたあわれな失業者と考えるか、自分の好きなことができるフリーランスと考えるか、、、と聞こえる(笑)。人は人生の中で楽しいこと、悲しいこと、居た堪れないこと、いろんな経験をするもの。しかし、「自分は何がしたいのか」を真剣に考え、それに『熱中』することで、自分が宇宙から与えられた使命を果たし、全宇宙が協力してくれる。

 仮に目の前で悲しい現実が立ちはだかっていようと、宇宙は全ての人を必然・ベストの方向の向かわせるのだ。物語の言葉を借りると、「マクトゥーブ(全ては書かれている)」なのである。ただし、人は運命を信じなければならない、前兆にしたがって生きなければならない、前向き出なければならない、それだけで宇宙は協力してくれる。

 かくして少年はピラミッドまで旅を続ける。そこで見たものは。。。

 自分の人生に疑問を持ったとき、そして、よりワクワクした人生を送りたいと猛烈に願ったとき、、、この物語は人に何かを示唆するでしょう。人生の必読書。

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)/パウロ コエーリョ
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「麻ことのはなし~ヒーリングヘンプの詩と真実」 中山康直著

 「大麻」の有用性を環境貢献、医学的な効用、資源活用の可能性等の点から概説するとともに、人類と大麻の歴史、さらに宇宙文化や未来文化とのかかわりなど、様々な資料をもとに壮大なスケールで語っている。

 我々は「大麻」というと麻薬のイメージが先行してしまいがちであるが、そのようなイメージが定着したのは戦後のことであり、実際、日本はもとより世界中で大麻は親しまれ、様々な用途に活用されてきた。事実、日本においては罪穢れを祓う聖なる植物として神事等に使われてきたし、大麻の名がつく地名、麻がつく人名も数多く存在している。それほど、大麻は社会や文化と密接にかかわってきた植物であるが、戦後、「麻薬」としてのレッテルを貼られるようになった経緯として、次のような説明がなされている。

 「1900年代の初頭に石油資源を中心に経済を発展させようという政治的、経済優先的な考え方の中で、大麻産業のような循環産業が石油化学産業を推進する時代の流れには不必要だと理解され、大麻をはじめとした多くの天然循環資源が衰退していったという歴史的な背景があります。」

 つまり、大麻規制の背景として、アメリカを中心とする巨大資本が石油など化石エネルギーを中心に経済進出するために、本来的に極めて有用性の高い大麻をその薬効成分にかこつけて資源エネルギーから締め出したという経緯がある。石油とは「限られた資源」であるのに対し大麻は「栽培等によって無限に生産できる資源」なので、その限られた資源を「持つ国」は「持たざる国」よりも優位に立つことができるのだ。

 実際、石油は海底に溜まったプランクトンが何万、何億年かけて作られるものであるのに対し、大麻は100日~200日程度で育つために、非常にリーズナブルと考えられている。

 通常、ヘンプと呼ばれる産業用大麻は、紙や繊維、建材、プラスチック、食料、医療など様々な用途の材料となる。そして著者である中山康直氏はヘンプで走る車で全国行脚したりなど、大麻(ヘンプ)の復権に向けて活動している。スピリチュアルな話では中山氏と大麻との出会い方が実に興味深い。

 中山氏が少年時代、池で遊んでいる時に溺れてしまい、もがき苦しみながら「死」を意識した時に、体が楽になり光に包まれながら感謝の念を抱いていると、緑色の植物に出会い、そこからやさしい癒しのエネルギーを感じていると、気が付いた時は岸辺で息を吹き返していた。何年か経って東南アジアを旅行している時に、その緑色の植物に再び出会い、それが大麻だったということだ。

 そこから自らと大麻との運命的なつながりを意識し、現在でも代替エネルギーとしての大麻の普及活動に精力をあげているとのこと。実際、中山氏は民間人としてはただ一人、産業用大麻の栽培資格を持っていることのことだ。

 大麻の普及活動というと、どうも怪しい響きを感じるが、中山氏のそれは純粋に産業用大麻(ヘンプ)の普及活動であり、地球環境や人類への貢献を目的として身を削った活動をしている。

 本書では人類の歴史の中での大麻とのかかわり、資源エネルギーとしての大麻の効用、そして精神文化における大麻の役割など、様々な文献、資料、フィールドワークを基にして描かれている。単なる思い込みでは決してない。本書は大麻を単なる麻薬の一種としてとらえるのではなく、歴史や制度の中で影の部分に置かれてきた大麻の効用や素晴らしさを改めて認識できる、優れた啓蒙書であると考える。

 世の中何が正しくて何が間違っているのか、真実とは何かを純粋な気持ちで考え直したい人には是非一読を促したい。

麻ことのはなし―ヒーリングヘンプの詩と真実/中山 康直
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「ポケット般若心経」ひろさちや著

 私が滝行を始めるにあたって般若心経を覚えねばならず、その際に購入した最初の一冊。平易な現代語訳(意訳)に美しい写真、そしてオマケのCDにひかれて購入した。初心者向けではあるが、著者である「ひろさちや」氏による般若心経の解説書(解釈書)とも言え、これを以って般若心経の真意が誤解を招かずに伝わるものか不明である。とは言うものの、初学者にとってこれほど分かりやすい入門書は他になく、仏教等に特別な関心がなくとも、日常生活の知恵として般若心経に触れるためには、優れて良書であろう。

 例えば冒頭の「観自在菩薩」については通常は単に「観音様」と訳して終わりのところを「ものの見方」というテーマで一つのエッセイを仕上げている。これから世の中を見て行く際気をつけなければならないことと言うことだ。それを「蜘蛛の巣にかかった蝶を幼稚園の先生が助けたエピソード」を用いて説明している。つまり蝶は可愛くて蜘蛛は憎らしいというのは人間の先入観じゃないか、そのような偏った見方で見てはならない、ということを説いている。

 また、有名な「色即是空(空即是色)」については、本来は「形あるもの(色)は形がなく(空)、形がないもの(空)は形がある(色)」と説明される。これでは何のことかわからないところ、ひろ氏は見事な比喩を使って説明する。「美しい薔薇には棘がある、棘があるから薔薇は美しい」、と。美しいと思っているものは同時に危ない要素もあり、危ないからこそ美しいという側面がある。つまり、モノ(客体=「色」)を見るときは、見る側の物差し(尺度)によって見ているに過ぎず、実際はモノ自体をとらえてはない(主体=「空」)が、一方、見る側の物差し(尺度)そのもの(主体=「空」)が、モノ(客体=「色」)を映し出しているのだ。従って、実体そのもの(美しい薔薇)は実体がなく(薔薇には棘がある)、実体がないからこそ(薔薇には棘がある)、実体がある(薔薇は美しい)という説明となる。「色即是空(空即是色)」については、多くの解説があるが、この比喩は見事である。多少の学識があるものならば、量子力学や現象学のテーマにまで踏み込んでいることを理解するであろう。

 とこのように般若心経を分かりやすい比喩や、エピソード、時にはトリビア的な豆知識なども織り交ぜながら平易に解説していく。そもそも般若心経は「書物(解説書)」ごときで真意を理解し得るものではなく、人生・生き方の積み重ねの中で各々が理解していくものである。とは言うものの、般若心経を生活の知恵、生活のバイブルとして身につけていく際、取っ掛かりとしてはこれほど優れた解説書も少ない。単純な読み物としても十分に楽しめる。一家に一冊は置いてて損はない。ただし惜しむらくは写真ページを中心に製本しているため、何度も読んでいるとページがばらけてしまうのだ(笑)。

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潜在意識の性質(1)~安心・安全を求めている~

マーフィーやナポレオン・ヒル以降、成功哲学と言えば「潜在意識」を活用することが、なかば約束事になっています。

しかし、いざ、「潜在意識とは何ぞや?」と問われると、しっかりと返答できる人は非常に少ないと思います。

私が今までセミナーなどで同様の質問をしてきたところ、多かったのが、

・氷山に例えると、水面に出ているのが意識で、それに対して表からは見えない水面下で強大な塊となっているのが潜在意識

と言うような答えでした。

確かにその通りなんでしょうが、この「氷山のたとえ」こそが「潜在意識」に対するしっかりした理解を妨げていると思われるのです。

そんなわけでして、ここではしばらくの間、「潜在意識」に対する明快な「理解」を目指して、その機能的側面から、本質に向かって書いていきたいと思います。

まず、「潜在意識」の機能その1ですが、実は、この理解をするだけで「潜在意識」の説明は半分以上終わったも同然です。

その大原則とは何か。

それは

「潜在意識は何よりも安心・安全を求めている」

ということです。

通常、「意識」は自分でコントロールできますが、「潜在意識」は自動的な反応であるため、よほど修行を積んだ人でなければ、自在にコントロールすることはできません。(←この話自体、非常に深く、きちんとした説明が必要になるわけですが、今のところはそのようなものとしてとらえてください。詳しくは別の機会に書きます)

では、「潜在意識」は何を求めて、自動的な反応を繰り返すのでしょうか。

例えば高いところに立つと、足がすくんで、汗が吹き出し、呼吸が荒くなる人が一定割合います。

それ症状は「高所恐怖症」と呼ばれるのですが、そのような人に言葉で「落ち着け」と言っても、その通りにはなりにくいです。

言われてその通りになるのなら苦労はありません。

自分でコントロールできないから困っているのです。

しかしこのような自分でコントロールできなさは、そもそもある目的のために起こったことなのです。

それが今言った、「安心・安全」を求める機能です。

つまり、高所恐怖症の人に対して、潜在意識は「高いところは危ないから離れなさい」という意図をもって、心地の悪い反応を引き起こしているのです。

もしも自分で反応をコントロールできるのだったら、平気で高いところに登って、そこから落ちて怪我することだってありますから。

ですので、「潜在意識」は必死になって、その人の身を守ろうと、わざわざ心地の悪い反応を引き起こしているのです。とても善意なのです。

しかし、ビルやタワーの室内など、完全なセキュリティで、どう考えても安全な場所であっても、やっぱり高いところは怖いです。

「意識」では安全とわかっているのに、それでも怖い。

ここでも相変わらず「潜在意識」が「安心・安全」を求めて、その人に「高いところ=恐怖」という反応を与え続けているのです。

もしかしたら、「潜在意識」ってバカなのでは???

その通り。

「潜在意識」はバカなのです。

(続きます)


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「生命のバカ力」村上和雄著

 遺伝子研究の世界的権威であり、かつてはノーベル賞に最も近い日本人と言われたこともある村上和雄氏の新書。村上氏は経歴等からもわかるとおり、「科学者の中の科学者」である一方、サトルエネルギー学会という多分にスピリチュアルな団体の名誉理事をしていることもあり、本質的には精神世界にかなり傾倒しているのであろう。

 本書の要点は、「人間の遺伝子は97%眠っており(off)、その眠っている遺伝子を起こす(on)ことによって、人は誰でもすごい能力を発揮できる」というもの。「北斗の拳」においても人間の潜在能力をフル活用することで、北斗真拳など流儀をあみ出せるという話があったが、同じようなことを世界的に認められている科学者が言うのだから世の中変わったものだと思う。

 確かに表題にもある「バカ力(ばかちから)」は、火事場やとっさの時には100キロもの金庫を担いで走れたりすることから、普段眠っている力が出た状態を言うのだろうが、それを考え方次第で出せるというのだから、我々凡人にとっては勇気の出る話だ。

 村上氏の言う「遺伝子をon 」にするにはどうすればよいか。特別なエクササイズがあるわけでなく、それは「気持ち」であったり、「考え方」、「感動」、「プラス思考」などによって可能であるとする。

 個人的に面白かった話が「笑いが遺伝子をONにする」という話。糖尿病患者に漫才を聞かせることで、そうではない対照実験において、明らかに血糖値が下がっているという実験結果も報告する。つまり「笑い」は病気まで治してしまうのだ。「笑うかどには福来たる」の科学的実証とも言える。

 また、村上氏の他の著作でもよく見かけ、船井幸雄氏なども好んで使う用語に「サムシンググレート」という言い方がある。それは人によっては「神」や「仏」、時には「奇跡」と言ったりできるのだろうが、世の中や生命をはじめ、遍くもの全てが人知には及ばない「サムシンググレート」によって動かされていると力説する。

 通常、科学者と言われる人種はあらゆる対象を「科学的」に解明しようとするもので、それゆえ科学者と言われるのだろうが、村上氏はためらいも無く「サムシンググレート」のような「非科学的」な要素を前提とする。しかし、村上氏のように「遺伝子」という「まことに不可解なもの」を研究対象としていると、どこかで「人間には説明付かないもの」に突き当たり、その存在を認める辺り、逆に村上氏の科学者としての真摯さが感じられる。

 
 また、本書には村上氏が科学者として大成するきっかけとして、精神世界に関心を持つ人にはおなじみの「偶然の一致(シンクロニシティ)」などのエピソードが紹介されているが、詳しくは本書をお読み頂きたい。

 本書は村上和雄という著名な科学者の筆によるものであるが、科学の本と言うより、冒頭で述べたように多分にスピリチュアルな要素を含んだ本である。しかし、決して「思い込み」のレベルに留まるものでなく、科学者らしく実際のエピソードや実験結果などを紹介しながらスピリチュアルな要素にも踏み込んでいる。

 とにかくこれを読むと勇気がでる。人は誰でもまだまだ成長できる。上手くやっていけるのだ。そして、終章で村上氏はこう締めくくっている。

「この世で生きているだけでも、私たちはサムシンググレートに感謝していいのではないでしょか。そうすればとりたててたいしたことが起こらなくても、毎日、喜んだり、感謝したりすることができるのではないでしょうか。」

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