2.ヨーロッパ編


<オランダ>

7月4日〜13日



【アムステルダム】

 大西洋を越えてしまった。アメリカではホームステイやら日本の知人やら、駆け込む寺はあったが、これから先は完全に一人だ。朝方空港に着き、中央駅まで列車で向かう。外に出ると、天気が今一つだったためか、朝と言うのになんとなく薄暗い感じ。ユースホステルを見つける。大きな部屋に大量に二段ベッドが並べられてある大雑把なつくりで、一泊25ギルダー(約1500円)。


 荷物を置いて街を歩く。オランダと言うと、風車にチューリップ、木靴、ゴッホなど美しいものが連想される。しかし、市街地で目に付くものは、ポルノショップに飾り窓、コーヒーショップなど、イメージに似つかわしくないものばかり。ポルノショップでは、入り口にノーカットのもろ出し写真が貼られ、最初は目のやり場に困る(中には30センチ以上の「ちんこ」を持つ黒人がとぐろを巻かせている写真があった)。飾り窓も同様。いろんな人種の女性が、下着姿で「ショーウインドウ」の中で、腰をえぐらせ手招きしている。さらに、コーヒーショップからは嗅ぎ慣れない匂いが漂い、中の人は皆、目をうっとりさせている。


 オランダは売春や大麻が合法という世界にも珍しい国だ。その是非はともかく、オランダと言う国は、社会保障や福祉政策、雇用政策など非常にユニークな政策を打ち出しており、「うまくいっている」まれな国である。売春と麻薬については、別の機会で見解を述べたい。


 しかし、日本では観光シーズンでない今時分に会う日本人ってほとんどが大麻をやり来てるんだよな〜。
(7/4〜6)


      
     (アムステルダムの空港)                  (運河のある風景)



【自転車】

 俺の旅は正直金がない。当初の所持金は80万円程で、アメリカで既に10万円近く使っている。ヨーロッパをある程度長く旅行する人(大学生など)は通常ユーレイルパスという定期券を購入することが多いようだ。これだと、一定期間は加盟国(西ヨーロッパのほとんど)の列車に乗り放題になる。当初はこれを買うつもりだったが、一ヶ月10万円以上 もする。もちろん宿や食費は別だし、夜行に乗るのも上乗せ料金が必要になる。今の俺にそれを買う勇気はない。そこで思いついたのが自転車だ。これだと、自分のペースで移動できるし、何より安くつきそうだ。深く考える前に「蚤の市」に行くと、20,000円程度でしっかりしたマウンテンバイクが売っていた。購入する。
(7/7)



         (自転車を買った蚤の市)
  


【出発、そしてハプニング】

 4日間滞在したアムステルダムを離れることに。ユースホステルをチェックアウトし、自転車で西に向かう。間もなく市街地を抜け、郊外の美しい田園風景に出くわす。オランダ のシンボルである風車に初めて遭遇する。思っていたよりも大きい。自転車に乗っていると、すれ違う自転車乗りとあいさつをかわすことが多い。なんとなくかっこいい。自転車は意外とペースがスムーズだ。午前中の内には西20キロにあるハーレムという街に着く。ここは鉄鋼業の 町で、ニューヨークのハーレムの名はこの町に由来する。特に何があるわけでもないが、スーパーで寝袋とコンパスを買った。そして、そこから大西洋に向かい南下することに。


 間もなく大西洋に。海岸が美しい。気持ちがいいのでとにかく進みまくった。今の季節は夏なので、ヨーロッパでは11時頃まで太陽が見える。調子に乗りすぎたせいか、泊まるところを失い、ライデンという街の駅で一泊することにした。


 自転車は駅の前の駐輪場に止める。俺は駅のベンチ。寝入ろうとしたが何となく胸騒ぎがする。駐輪場に行く。さっき置いたはずの自転車がなくなっている。どこを探してもない。盗難にあったようだ。とりあえず、その日は駅で寝付けないまま、夜を明かすことにした。


 朝が来た。やはり自転車はない。どこを探してもない。現場をよく見る。すると、盗難防止につけていたくさりの破片が落ちている。盗難にあったという現実を改めて認識した。今日はとりあえず休みたい。そして、これからのプランを練りたい。9時にツーリストオフィスが開く。安い宿を紹介してもらう。おばちゃんが一人でやっている小奇麗なペンション。約3,000円。安くないが今日はゆっくりしたい。おばちゃんに事情を話すと、とりあえず何か食べろと言ってくれて、パンにチーズ、スープ、コーヒーなどを出してくれる。その親切が心に染みる。とりあえず、できる事は何でもやろうと思い、警察署に行き盗難届を記入する。


 部屋で荷物を確認する。自転車のバックに入れていたものは、「辞書」「本」「電卓」「住所録」。パスポートや現金など大事なものは身に着けている。日記もザックの中に入れていた。不幸中の幸いだった。しかし、住所録は痛い。これで日本に葉書を書くことができなくなった、と思った。しかし待てよ。番地まで書かなくとも行政区の郵便局まで届けば、届くのではないか?葉書は日本の郵便局が優秀であることを祈りつつそのあとも出しつづけた(ほとんど届いていた)。その日は、シングルルームで泥のように眠りこけた。
(7/8〜9)



        
     (アムステルダムの広場から出発)                 (大西洋を背に)

        
     (盗難の現場―くさりの破片が)                (ライデンの風車)



【路頭に迷う】

 翌日、8時に起床しペンションの朝食を腹いっぱい食べる。短い期間だったがおばちゃんには世話になった。心配そうな顔で見送ってくれる。盗難にあったせいでオランダから出たくなった。ふらふらとミュンヘンまでの列車の切符を買う。約13,000円。しかし、買った後にいろいろ考え始める。「このまま、簡単に東に向かって何をするつもりだ?」「13,000円も出すなら安い自転車を買った方がいいのでは?」せっかく切符を買ったのに、出発一時間前にキャンセル。600円ほどキャンセル料を取られたが、気持ちは定まった。とりあえず比較的大きな街デン=ハーグまで列車で行く。


 夜の9時になっていたが、まだ明るい。海の方向に歩き進む。すぐに暗くなる。今日の宿がない。車に乗っている人に呼び止められたので、事情を説明する。近くのユースホステルまで案内してくれるが、夜が遅く、人は出てこない。結局、その人の家の庭の小屋に泊まることに。そこは小屋とはいうものの、トイレや簡易ベッドがあり、クッキーなど食べ物もあった。自由に使って、あるものは勝手に食べていいとのこと。今日も親切が心に染みた。
(7/10)



          
 (歩き続ける俺)


【自転車を再び購入】 
 朝が来た。置手紙をして勝手に出る。そこから、また歩き始める。およそ5時間ほど歩きつづけると、街にでた。自転車屋を見つける。中古で9,000円の自転車が見つかる。買ってしまった。乗りながら「俺ってアホやな〜」とつぶやいた。ついでにテントも買う。

 今日は宿に失敗しないぞと、ロッテルダムで宿を探す。しかし、駅前はマリファナ臭く、街中もごみごみしているので、ロッテルダムは出ることに。するとまた宿が見つからず、夜を徹して走り回ることになった。こんな過酷さを俺は楽しんでいるのか?

 結局、走り続けた。朝方、ガソリンスタンドでジュースを飲む。ドルデレクトという街に着き、ダウンタウンから20キロ程行ったユースホステルにチェックインする。 この日はここで1日ゆっくりし、夜もそこで夕食をきっちりとった。
(7/11〜12)


      
             (跳ね橋が開く)                                   (夜通し走る俺)


           
(俺の自転車)


【初キャンプ】

 昨晩はきちんと夕食をとり、今朝も豪華な朝食だった。今日は東に進み面白い街に入る。バルル・ナッソーという街で、オランダでありながらベルギーの飛び地があり、その中にもオランダやらベルギーやらがごちゃごちゃ混じっている。家ごとに国が違い、同じ家の中でも、台所はオランダだが、寝室はベルギーなんてとこもあるようだ。しかし、街並み自体はあまり特色はない。通貨はギルダーとフランが両方使えた。


 今日は初めてのキャンプを経験する。6,000円で買ったテントをようやく使う時が来た。軍用で棺おけのようなテント。寝るしか動きがとれない。寝ていると雨が降ってきた。何となく不安な夜。
(7/13)


      
           
 (風車と俺)                                    (テントの中の俺)




<ベルギー>

7月14日〜21日


【ベルギー入国】

 昨晩は運悪く雨が降ってきて、テントの中に雨がしみてきて気持ちが悪かった。朝も少し雨が降っていたが、出発することに。するといつの間にか雨も上がり、気がつくとそこはベルギーだった。普通、国境を越える時は、パスポートのチェックやらがあるはずなのに、ここでは市町村 境を越えるかのように立て札一枚で国境越えとなった。

 しばらく田舎の美しい田園風景が続く。すると、一つの自動販売機を見つける。これまで自販機を見かけることが少なかったので、珍しいと見入る。何とフルーツビールの自販機だった。日本円にして120円ほど。めちゃくちゃうまい!!一気にベルギーが好きになった。この日は、アントワープで一泊する。この街は「フランダースの犬」の街らしい。(7/14)
 


       (気がつくとここはベルギー)   



【ブリュッセル】

 アントワープを1日で出て、首都ブリュッセルに向かう。この辺から言葉がオランダ語からフランス語に変わる。ブリュッセルには夕方についた。グランプラスという、街の中心に行く。日本人の女の子が3人いたので、ガイドブックを見せてもらい、ユースホステルを探す。街中には意外と少ない。一つのユースに向かうと、既に満室。再びグランプラスに戻り野宿を決め込む。同じような境遇のバックパッカーがたくさんいる。心強い。オランダ人のおっさんから話し掛けられる。自転車で旅行しているのが面白いそうだ。家に来いと言われんか期待したが、そうは甘くなかった。しばらくボーっとしていると、突然、広場の光が消え、次の瞬間、シューベルトの「未完成交響曲」が流れ始めた。冷静に考えると臭い演出だが、その時の俺は妙に感動し、ちょっと 涙しながら、音楽の素晴らしさに感謝した。

 だが、しばらくすると広場から他のバックパッカーもろとも追い出され、再び途方にくれることになった。

 駅の方に歩いていると、韓国人の男と出会い、同じ境遇ということで、一緒に公園で野宿することになった。 夜は寒く、寝袋の中で横になっていたが、結局あまり眠れず。無事に夜が明け、昨日のユースホステルに行く。チェックインでき、昼頃から眠りこけた。


  (小便小娘と俺)

 ブリュッセルの3日目は、街歩きをする。すると、初日にガイドブックを見せてくれた女の子と再会し、その日はデートすることになった。女の子も嬉しいが、何より日本語を話せるのが嬉しい。彼女は、この後、ロンドンに行き語学の勉強をするとのことだ。夕食を一緒に取ることになったので、安めの「レストラン」に入って、フルーツビールとチキンを食べる。俺にしては少し贅沢。いろいろと話したが、結局、名前も聞かずバイバイをした。これも旅。
(7/15〜17)


【ベルギーを東に】

 ブリュッセルを出る。南に行くとフランス、東に行くとドイツ。東に行くことにした。結構雨っぽい日が続く。雨宿りをしながら、1日走りつづけ、キャンプ場に泊まる。隣にテントを張っていたフランス人カップルからコーヒーをご馳走になる。いい奴らだ。しかし、夜更けにHするのは勘弁してくれ。声がまる聞こえで、こっちまでムラムラする。


 翌日も東に向かって走る。ひたすら走る。今日は天気がいい。昼食にトマトを食べ、ベンチの上で昼寝する。気持ちいい。再び走り出す。途中変な自転車に乗るオランダ人に出会う。自分で改造したらしい。しばらく一緒に走る。

その日はキャンプ場が見つからず、野宿に。普通の民家の玄関を叩き、「ボンソワール」とフランス語で挨拶し、その後は英語でテントを張らしてくれと頼む。快く応じてくれたが、家中の人(10人以上)が俺を見に来る。変な東洋人だと思われたろう。


 その後も、ルクセンブルクに向かってひたすら東に突き進む。その間、ずっとキャンプ生活。
(7/18〜21)



     
     (改造自転車に乗るオランダ人)               (俺の寝床と愛車)


                      (ベルギーの美しい田園風景)


    

<ルクセンブルク>

7月22日〜27日



【クラリネット】

 ルクセンブルクに入る。国境を越えたけど、別段変わりはない。相変わらず、看板一枚の国境。通貨もルクセンブルク・フランになったけど、ベルギー・フランも普通に使える。それどころか、ルクセンブルク・フランなんてのはほとんど見かけない。しかし、景色は相変わらず美しい。俺の入ったルクセンブルク北部は、公共交通機関が通っておらず、自転車ならでは景色を堪能できる。ルクセンブルクは「小スイス」と言われるほど、景観の素晴らしい土地だ。納得できる。


 実はこの旅には「クラリネット」も持ってきている。俺のクラリネットは「ビュッフェ・クランポン社のR13」と言って、フランス製の名器だ。クラリネットは小さなケースに入れて持ち歩くのだが、もともとザックが小さいため、ザックの中はほとんどクラリネットに占められている。したがって、非常に高価なじゃまモノとしか言いようがない。しかし、せっかくの楽器の里帰り。素晴らしい景色をバックに、クラを吹く。もともとヨーロッパの乾いた空気に合わせて作られた楽器だけに、物凄く音が響き渡る。「俺の音めっちゃいいやん!!」と一人悦に入る。モーツアルトを吹く。すると、柵の向こうの牛や羊が集まってくる。俺は魔笛のタミーノだ!!
(7/22)


       
      (ルクセンブルクの国境)               (クラリネットを吹く俺)

     
     (ルクセンブルクの古城)               (素晴らしい景色をバックに)



【自転車が壊れる】

 素晴らしい景色を堪能していたのはいいが、調子に乗って走りつづけていると、ついに自転さがおかしくなってしまった。後輪が左右に揺れ、車輪が回らなくなったのだ。中古の上に、乗りつづけているので、当然の結果か。しかし、壊れたところがまずかった。相変わらずの素晴らしい景色の中で立ち往生。近くに修理するところがないのだ。自転車を押し続ける。だんだん力が入らなくなってきた。腹も減る。ようやく街の中にたどり着く。スーパーの前の出店でハンバーガーがいい匂いを漂わせている。一個300円もするが、空腹に耐え切れずかぶりつく。うまい。フランスパンにハンバーグと玉ねぎを挟み込んだだけのシンプルなもの。ヨーロッパ入りして最も旨いものに出会った。これはもう一個食わなければ勿体無い。スーパーに入り、ビールを買い、同じハンバーガーをもう一個買う。とても贅沢な食事だ。ビール片手に、ハンバーガーをむさぼり、涙する俺。自転車が壊れたことに感謝。結局、自転車屋で2,400円払って修理。痛い出費だ。
(7/23)



【初酒浸り】

 キャンプ続きの生活から、今日は、首都のルクセンブルク市に入り、久々にユースホステルに泊まる。ルクセンブルク市は、かつての城塞都市で、城壁を取り囲むボックの砲台が名所だ。


 ユースホステルは約1,600円。キャンプ続きからすると、若干高めだが、一週間ぶりのベッドが楽しみ。チェックインするためにカウンターで並んでいると、ちょっと身なりに味のある日本人っぽいおじさんが並んでいた。チェックインをすませると、そのおじさんも同じ部屋だったことで、久々に日本語が話せる嬉しさで、「日本人ですか?」と話しかけた。思ったとおり
日本人で、言葉に飢えていた俺は、会話が楽しくて仕方ないのだが、彼も俺以上に話し好きで、しばらく部屋で話し込んでいた。彼の名は伊藤さん。40代前半で独身。地元はよくわからず、北海道の居酒屋が彼の日本の連絡先になっている。半年日本で働き、残りはヨーロッパやらいろいろとうろついているそうだ。とにかく話し好き。しかし、その話は決して退屈なものではなく、非常に博学で機知に富んでおり、飽きさせない。また、美食家でもあり、酒は好きだけど安酒は飲まないという、明確なポリシーを持っている。その日は、ワインバーに誘われ飲み、ついでにレストランに誘われ、3,000円の手長海老のディッシュに、ワイン。その後も、ワイン、そしてビール。これらはすべておごり。毎日、キャンプでハンバーガーに涙する俺が、ここにきていきなりの贅沢。ものすごく酔っ払った。
(7/24)



          (ボックの砲台)


【変人】 

 久々に酔いの目覚め。朝食をとりに行くと伊藤さんは既にコーヒーを飲んでいた。今日は、まち歩き。首都とは言えど、もともと国が小さいため、半日で全て見終える小ささ。午前で一通りみて、スーパーで買物。パスタを買い、ユースで料理。腹いっぱい食べる。しばらくして伊藤さんが帰って来て話す。彼はルクセンブルク語の本とか、美術の本とかいろいろ買い込んでいた。そして今日も伊藤さんのおごりで飲みに行った。宗教、美術史、音楽史、東欧社会、語学など幅広い見識を持っており、半分もまともにわからなかったが、面白かった。酒と食べ物の話は俺にもわかりもっと面白かった。伊藤さんの行動は、どんな人にでも気軽に話しかけ、好かれ、いろいろ話を聞き、メモり、世界各国に 行きつけの飲み屋をつくる。面白い人だが、日本に帰ると変人だろう。こんな「変人」と意気投合する自分のことが、さほど嫌いではない。
(7/25)

―伊藤さんの後日談―
 2004年5月現在、実は伊藤さんとはまだ付き合いが続いている。伊藤さんからは 今でも時々葉書が来る。2年前は5月のどんたくの週に福岡に遊びに来て、ここでも2人で4万円もする和食をおごってもらった。福岡にも既に何軒か行きつけをつくったようで、俺よりも詳しい。外国とまったく同じのりで、当時のことを思い出し胸が震えた。いい酒になった。その後、北海道からメロンを送ってくれ、会社のみんなで食べた。さらにこないだ、突然、電話がかかってきて、「魚」を送ってやると言ってきた。久々に聞いた声。笑った。送ってきたのは本場の「ししゃも」だった。初めて食べた。(下は伊藤さんから時々来る葉書の一枚。字小さい。)





【足止め】

 2泊もしたので出発する。伊藤さんと朝方爆笑しながら別れる。ドイツの方に進むが、土日なので銀行が休み。ドイツマルクに両替できず、ルクセンブルクの東端で2日程、キャンプして無目的に過ごす。いつの間にかガリガリに痩せていた。
(7/26〜27)



        (川の向こうはドイツ)



<ドイツ>

7月28日〜8月5日



【ドイツ入り】

 ようやくドイツに入る。すぐに銀行に入り両替。銀行のにいちゃんは「日本円」を初めて見たようではしゃいでいた。ザールブリュッケンという街に入る。久々にマクドで飯を食う。そしてキャンプに直行。寝る前、テントの中で焼けるようなのどの渇きを覚え、蛇口に口をつけ、生水を流し込む。旅先では生水を飲まないのが鉄則だが、のどの渇きに負けた。


 翌日は東に向かう。途中でタイヤがパンク。そこはまたも山の中。数時間自転車をおして歩く。街に入ってガソリンスタンドで応急処置をするが、すぐに空気が抜ける。そうこうしているうちに、日が暮れてしまい、辺りにはキャンプ場もユースホステルもない。疲れて野宿する気にもなれなかったので、一泊5,000円のプチホテルに泊まり贅沢する。
(7/28〜29)



【ポーランドの若い音楽家】

 5000円のホテルの朝食は贅沢だった。もりもり食べチェックアウト。自転車屋を見つけタイヤごと買う。後輪の磨耗が激しいため前輪と後輪の入れ替えの必要があるが、自転車屋に言うと「道具を貸すから自分でやれ」と言われ たので喜んで自分でやる。その後は快適に進み、100キロほど進んだカールスルーエのユースに泊まる。

 部屋に入ると2人の男が自炊をしていた。ポーランド人の兄弟で、ポーランドからヒッチハイクできて、物価の高いドイツでは安く上げるために自炊しているのだと。俺もスープとパンと缶詰をもらい、一緒に食べた。いろいろ話していると、彼らはポーランドの音楽大学の学生で、2人ともファゴットを学んでいるとのこと。オペラ座のオーケストラでアルバイトをしている。もちろん、ドイツの旅にも楽器を持ってきており、昼間はストリートで演奏し、その日の宿代を稼いでいるとか。弟はフルートも吹く。音楽の話ですっかり意気投合して楽しい時を過ごした。

 翌日はみんなでチェックアウト。住所交換をして、一緒に写真を撮る。そして、部屋を出る間際に一曲プレゼントしてくれた。モーツアルトのファゴット二重奏曲(原曲はファゴットとチェロ)。大感激!、感動的な旅の演出だ。演奏が終わり、拍手を響かせると、廊下にい た従業員も拍手していた。一緒に宿を出る。彼らは旅の最中の食料を全てポーランドから持ってきており、荷物はそれぞれ50キロを超えるという。お互いの健闘を称え、硬く握手をしてさよならをする。


 その後はさらに東に進み、ストットガルトのユースホステルにチェックインする。
(7/30〜31)



       
       (ファゴット二重奏)                     (50キロの荷物を背負う2人)



                (ユースホステルからストットガルトの街を眺める)



【南ドイツの家庭】

 自転車の調子があまりよくない。ギシギシ鳴る。道がごちゃごちゃしていてストットガルトからなかなか出られず、距離をかせげない。ようやく出たと思うと、今度はひたすら山道。次の街はドナウの旅の出発点ウルムだが、今日中には到着しそうもない。地図にあるユースホステルの地点までひたすらギシギシ鳴る自転車をこぎ、上へ上へと登っていく。

 この辺にユースがあるはずだ。しかし近くの人に聞くと「つぶれた」と。落胆。疲れている上に、朝ユースを出てから大きなトマトぐらいしか食べていないので腹ぺこ。これ以上こぐ気力もないので、どこでもいいから泊まろうと、宿やキャンプ場の場所を聞くが、宿は満室、キャンプ場はない。野宿も嫌だ。とにかく人に聞きまくる。赤ちゃんを連れて散歩している夫婦に聞く。すると親切なことに、宿を交渉してくれると。旦那さんが比較的安そうな宿に入り、交渉してくれる。でもやっぱり満室。しかし、次の瞬間、天の声を聞く。「うちに泊まればタダだ」。


 家に着くと、シャワーを浴び、飯を出してくれる。ケーススペッツェレ。訳すとチーズ・スパゲッティ。そしてビール。うどんのような太い麺に、チーズをたっぷりのせ、炒めたパン粉をまぶしてオーブンでさらに焦げ目をつける。目の前に大盛りのディッシュ。むさぼり食べる。腹が落ち着いたところでいろいろ話す。小さな赤ちゃんと仲のよい夫婦。幸せなひと時だ。

 翌日、起きるとダイニングには朝食の用意が。パンにチーズに卵にフルーツ。あまったパンとチーズでサンドイッチを作ってくれ、フルーツとチョコレートを包みお弁当にしてくれた。一宿の礼を言い、出発。昼頃、お弁当を食べる。温かい味がした。人の真心の味がした。


 その後は順調に進み、ウルムに到着。ユースホステルに泊まる。
(8/1〜2)




              (温かい家庭)



【楽しい交流】

 ウルムを出る。ドイツ一高い教会を背に。次の街はアウグスブルク。珍しくハプニングなしで夕方頃到着。ユースもすぐ探せて、チェックイン。部屋に入ると一人の男性がおり 、あいさつ。カナダ人の大学院生で物理学を専攻しているとのこと。彼も自転車でヨーロッパを周っており意気投合。しばらく部屋で話した後、一緒にまち歩き。広場のようなところでビールとウインナー。その後、いろいろ話しをしながら教会などを見て周る。ユースに戻ると、韓国人の学生がいた。一人は哲学専攻の男で、映画マニアの変わった奴。もう一人はぽっちゃりとした笑顔がカワイイ女の子。寝るまで4人で話をし、女の子からは葉書をもらった。なんかスムーズな日だった。


 翌日は大盛りの朝食をとった後、また東に向かう。360度四方麦畑で、広大な麦畑の中を無心に自転車をこぐ。なんかかっこいいと思った。この日はミュンヘンを通り越し、田舎のユースに泊まる。
(8/3〜4)



(ウルムの教会)
       
       (カナダ人のチャリンコ野郎)                          (麦畑と愛車)

【ドイツ最終日】
 ユースで豪華な朝食をとる。ドイツはユースホステルの本場だけに、非常に快適だ。一泊1,500円前後と安く、ベッドも寝やすく清潔。何より朝食が最高。数種類のパンとチーズ、シリアルにヨーグルト、フルーツ、ドリンクなどが食べ放題。自転車野郎には嬉しい限りだ。ドイツではコストパフォーマンスから言っても、キャンプ場に泊まるのはもったいない。絶対にユースホステルだ。


 ユースを出るといい天気。昼過ぎ、スーパーでビール。ちんちんに冷えていてうまい。観光地になっている大きな湖を通過し、もうすぐドイツ国境。でも、もう1日ドイツに滞在。最後はキャンプ場。ドイツ最終日なので、贅沢にキャンプ場併設のレストランに入る。巨大なトンカツにジャムをぬったものにビール。トンカツはよければもう一枚サービスしてやると言われたが、さすがにお腹いっぱいになった。それだけトンカツは大きかった。


 ドイツは南しか通っていないが気に入った。旅人に対して非常に親切だし、それ以前に人がよい。日本人と相性がいいのかもしれない。また来たい。
(8/5)




<オーストリア>

8月6日〜14日


【ザルツブルク】
 久々のキャンプ場で目覚める。今日はオーストリアに入る予定だ。テントから出ると、近くにイギリス人の家族のテントがあり、そこの親父さんと話をする。話し好きで、一方的に話してくる。自分は普通教育を受けたことがなく、今、基礎からいろいろ勉強している云々。一通り話を聞くと、テントの中から一本の瓶を持ってきた。日本から来た自転車野郎の勇敢さを称えて、ホームメイドワインをプレゼントしてくれた。よくわからないが喜んで頂いた。キャンプ場を下って行くと、スーパーがあり 、そこでパンを買い朝からワインを飲む。

 東に突き進む。しばらくしてオーストリアの国境にたどり着く。ザルツブルクだ。モーツアルトの生まれの地。同じく自転車で旅をしているフランス人に追いつき追いこされしながら、あいさつを交わしていると、ザルツブルクで合流し一緒にマクドに行った。俺はザルツブルクで2泊ほどするつもりだったので、今日はユースホステルに泊まると言うと、自分も一泊だけ付き合うと。彼の名前はチェリー。30代後半くらいの。ユースホステルに一緒にチェックイン。その日は一緒にザルツブルクをウロウロする。夕方、フランス人の旅行者団体と会う。フランス人のチェリーと一緒にいたためか、団体からフランス語で話しかけられる。「Je ne parle pas france(フランス語は話せません)」とフランス語で答えると、「ne pas!」と返事がきた。俺のフランス語は通じたようだ。一言だけだが嬉しい経験だ。夕食は、チェリーが持ってたチーズと缶詰に俺のワイン。立派なディナーになった。


       
       (4ベースアンサンブル)                 (ザルツブルクに着く)



 翌日、チェリーはチェックアウトして東の方に向かった。ハンガリーまで行くのだそうだ。一日だけの付き合いだったが別れは少し寂しかった。宿に戻ると、今度は日系2世のアメリカ人と知り合う。名前はデビッド。ハーバード大学の医学部の学生で、大学のオーケストラでヴァイオリンを担当しているそうな。超エリート。一緒にザルツブルク城に登った。基本的には俺の下手な英語に付き合ってくれるのだが、彼も時々日本語のフレーズを発する。後からわかったのだが、彼は本当は日本語をほとんど理解できていたが(話すのは苦手らしいが)、俺に気遣ってわざと英語で話していたそうな。終日一緒で、モーツアルトの生家に行ったり、魔笛の人形劇を見たり、立派に観光してしまった。


 その翌日、デビッドは電車でウィーンに行く。俺もチェックアウトし、再び自転車で出発。さらばモーツアルト。80キロほど進み、ウェルスという街のユースに泊まる。ここは泊り客が少なく、4人部屋を一人で独占した。従業員は「たまごっち」で遊んでいた。
(8/6〜8)


     
     (フランス人のチャリンコ野郎)                 (日系アメリカ人デビッド)


【愛車とお別れ】
 今日はリンツに入った。モーツアルトの交響曲第36番のリンツ。ブルックナーの銅像を見つけた。音楽縁の街だ。天気がさえない。おまけにまたも後輪にがガタガタ鳴り始めた。いつものようにスパナで直しにかかったが、今度はよけいに事態を悪化させてしまった。このまま修理に出しても、すぐにおかしくなるだろう。自力で直しにかかればかかるほど、事態は悪化の道をたどった。10分ほど悩んだが、答えははっきりと出た。「ここでさよならだ」。

 愛車とはちょうど一ヶ月の付き合い。オランダからオーストリアまでよく運んでくれた。ありがとう。そう思うと少し悲しくなった。別れは辛いものだ。愛車の汚れを草でぬぐいとって最後のお別れをした。

 今日の寝床探し。東に向かってひたすら歩いたが、キャンプ場までは大分距離がある。後ろを振り返り親指をあげると、いとも簡単に車がつかまった。キャンプ場まで運んでもらい、テントを張り終えるやいなや雨が降り出した。狭いテントの中で夕食のビールとポテトチップスを食べていると雨音が激しくなってきた。
(8/9)



              (愛車との別れ)


【ヒッチハイク】
 昨晩は結構雨が降っていたが、朝になるとあがっていた。キャンプ代を払おうとレセプションに行くが誰もいない。周りの客に尋ねると「君はラッキーだ」と。どうやらここは前払いだったが、昨晩の雨のためお金の受け取りのタイミングを外したのだと。感謝してキャンプ場を出る。 俺の交通手段は自転車から親指に変わっていた。東に進むためヒッチを始める。昨日ほどはうまく行かず、何度かポイントを代えながら親指をあげた。ドナウ沿いの道で車がつかまる。結構かっこいいおじさんだ。あまりしゃべらないが笑顔がよい。180キロ近くスピードを出していた。おじさんの目的地についたので俺も降りる。すると、「Welcome to Austria」と握手を求められ、ロデオのチケットに絵葉書、そしてなぜか200シリング(約2,000円)までくれた。不思議だ。愛車を手放してからなぜかついている。


 ヒッチハイクはスポーティだ。あまりやったことはないが、「釣り」の感覚に似ている。うまく車をつかまえるにはいろいろな要素がある。まずは、竿。これは親指のあげ方だ。そして、餌。これは自分自身。女の子だとすぐにつかまるようだ。その意味で俺はあまり良い餌ではないだろう 。しかし一番大切なのはポイント。いくら竿や餌がよくても場所を間違えてはつかまらない。


 そんなわけで、ヒッチを繰り返しながら、メルク、クレムスなどの町でキャンプをし、東に進んでいった。ちなみに日本は今お盆シーズン。クレムスで久々に日本人を見かける。嬉しかったので声をかけたが見事に無視される。
(8/10〜12)


     
       (クレムスの街並み)                   (メルクの大聖堂)



【ウィーン】

  テントを出て、ヒッチポイントを探し歩き始める。絶好の場所を見つけ、親指をあげるといとも簡単につかまる。俺もいい「釣り師」になったものだ。間もなくウィーンに到着。杏子を袋いっぱいくれる。

 しかし、ウィーンは大きな町だ。歩いても歩いてもきりがない。のどが渇いたので、一軒のパブに入る。ビールとハムステーキを注文。そこの店員の態度の悪いこと!。ビールを持ってきたときなんか露骨に嫌そうな顔して「ドカン!」と置きやがった。おそらくバックパッカースタイルが気に入らなかったのだろう。


 相当歩いて、ウィーンのはずれのユースホステルにチェックイン。一人の日本人と会い、一緒に中華レストランに入る。


 久々にベッドで起床。ウィーンには
2泊の予定なので、今日が中日だ。とにかくウィーンを足だけで周る。途中、デキシースタイルのジャズグループに遭遇。スタンダードの「All of me」を演奏しており、久々に体内に美味しい水が流れわたるような清々しい気分を味わう。この旅で初めて「投げ銭」をやった。それほど俺の心と体に訴えかけるプレイだった。

 夜は俺の最愛のオペラである「魔笛」を聴きに行く。3,000円の安いチケットをゲット。遺跡のような野外ステージで夜の公演。まだ明るいうちから会場に赴き、ウロウロする。ステージからかすかに聞こえるリハーサル中の歌声に思わず身震いする。さあ、スターティング。序曲の後、タミーノの独唱に始まり、3人の侍女による三重唱で涙が溢れ出る。ああ!音楽ってなんて素晴らしいんだろう!!西ヨーロッパ最後の夜を静かに劇的に飾る。終演後は余韻に浸りながらユースまでゆっくり歩いて帰る。夜中の12時になっていた。
(8/13〜14)



       
      (街角のジャズバンド)                  (シェーンブルン宮殿)

        
         (魔笛)                    (夕暮れのシェーンブルン宮殿)



<ハンガリー>

8月15日〜31日



【ハンガリー入国】
 ウィーンを出る。ヒッチは大変なので、国境までバスで行くことに。ブダペスト行きのバスに乗り、一時間程度で国境に到着。国境で降りる奴はめったにいないためか、周りから奇異な目で見られる。歩いて国境を渡り、ついにハンガリーに入国。町まで行ってヒッチを開始。ポイントは悪くないのだが、思わぬ苦戦を強いられ、2時間程ねばってようやく一台止まってくれる。少しの距離だったがありがたく乗り、次のヒッチポイントで降りる。次はすぐに止まってもらえる。ハンガリー人は英語を話せる人が少ないようだ。車の中でもほとんど会話にならない。こちらではむしろドイツ語だそうだ。後で聞いた話だが、通貨にしても東欧では米ドルよりドイツマルクの方が通じるということだ(特に旧ユーゴ諸国)。

 ハンガリーの印象としては、一見西ヨーロッパと変わらなく見えるが、実は道路が舗装されてなく剥き出しだったり、街中ほこりだらけだったり、やはり東欧だということを感じさせる。
 
 初日はキャンプ。天気が悪いためか、キャンプ場は暗く、人も少ない。おまけに蚊の大群。何となく「ジプシー」とひとりごつ。
(8/15)



【ブダペスト】
 蚊だらけのキャンプ場を出て、ヒッチ開始。英語の通じないじいちゃんに乗せてもらうが、高速道路の途中で降ろされる。一旦、高速から降りてヒッチ再開。ちょっと苦労して、これも英語の 通じないおじさんに乗せてもらう。ブダペスト到着。ツーリストオフィスに行き、ユースを紹介してもらう。ブダペストでは無目的にちょっと長く滞在するつもりだったので、街外れの安いユースに3泊分払う。学校の寮のようで、夏休み中はユースホステルとして旅行者に貸し出すそうだ。活気はなく、ベッドが4つある部屋を独り占め。あまり綺麗ではないが、700円ほどの宿にしては上出来。ダウンタウンを歩きに行く。日本人の姿をよく見かける。夜はユースでパスタをゆでるが、調理器具が腐っていて、パスタがべちょべちょに。さすがの俺でも食えなかった。

 翌日も街歩き。ドナウ川の中洲に浮ぶマルギット島に行く。セントラルパークのようで、中には自転車道やら動物園やら遊技場やらがある。川沿いでトップレスで日光浴している女性もいる。そして王宮の丘、コーチャーシー教会を訪れる。パイプオルガンのコンサートに胸が熱くなる。今日も日本語を話さず。

 靴が腐ってきた。日本から履いて来て、よく歩いたものだ。あまり安くないサンダルを買い、その靴はあまりの臭さにその場で捨てた。足が爽快。一人で見て周るのも飽きてきて、ガイドブックを買う。特に何をすることもないが、宿を5泊延長する。

 ルーマニアのビザを取りに大使館に行く。米ドルしか受け取らないようで、門前払い。夜はユースの近くのバーに一人で入る。ワインとビールを飲み、店のおねえさんに筆談も交えて話し掛けるが、愛想悪くされる。


 8月20日はハンガリーの建国記念日。国をあげてのお祭りの日だ。夜になると花火で盛大に祝われる。ドナウ川を挟んで人だかりで埋まる。花火は・・・日本のものを知っている寂しいものだった。翌日、花火のガラを見つけたが、メイド・イン・ジャパンと書いてあっタ。横でシンナーとハッパでラリッている集団がいた。
(8/16〜20)


     
       (ブダペストを見渡す)                      (王宮)

     
       (王宮の丘のバザール)                (建国記念日のパレード)



     (建国記念日の花火-しょぼい)



 【再会】
 昼まで寝る。今日もルーマニアのビザを取りに行くが、大使館はお休み。気分的にも疲れて、いつもは歩くところを地下鉄にただ乗り。駅員が何人も待ち構えており、腕をつかまれたが振り切って歩く。

 そしていつもの広場で、人の動きを眺める。・・・・ん。なんか見たことある人が。ルクセンブルクであった伊藤さんだった。相変わらず怪しい出で立ち出歩いている。ボロボロのメモ帳を片手に。抱き合うことはないが再会。伊藤さんも俺がそろそろ来る頃だろうと感じていたらしい。心の中が一気に賑やかになった。再会を祝って、有名なカフェニューヨークに行く。俺は温泉水を飲む。はっきりって硫黄の水。まずい。その後、昼からワイン。トカイのワイン。しこたま飲んだ。


 トカイのワインは世界有数のデザートワインで、甘くて飲みやすい。伊藤さんと行った立ち飲みバーは、土地の人で賑わっていた。みんな陽気に酔っ払っている。値段のことを言うのはなんだが、1つ星ワインが20円ほど。安い。トカイワインには等級があり、伊藤さんが言うに、日本に入ってくるのは4つ星までだが、ここには6つ星まである。等級があがるほど古くなる。6つ星は一杯500円ほど。日本円では確かに安いが、土地の物価感覚から言うと、1つ星を120円〜200円程度と見ると、6つ星は3,000円〜5,000円ぐらいになる。となると、日本で「余市」や「山崎」の30年ものをショットでいくような感覚か。ちなみに日本で本当に飲もうとなると、4つ星以上は値段がつけられないようだ。そして、ここでは6つ星を飲む。伊藤さんが興味本位にオーダーしたのをご相伴。澱がたまって白濁している。甘い。甘すぎる。ここまでくると、やりすぎのような感。単に舌の修行が足りないだけなのだろうが。
(8/21)



【テレサの宿】
 伊藤さんから「テレサの宿」という宿を教えてもらう。長旅をしている人が集まる安宿。日本語、会話に飢えていた俺は、早速、行ってみる。テレサというおばちゃんに笑顔で迎えられる。部屋は二間しかないのに、毛布やらシュラフやらがギッシリ敷き詰められ、皆、身を寄せるようにして眠るようだ。学生の合宿のような雰囲気。宿泊はウソのように安く、ベッドで500円、マットで300円、床だと180円ほど。俺は、街外れのユースに先払いしているので、夜はユースで昼はテレサ生活を2日ほどして、ユースをチェックアウトしてから、晴れてテレサに泊まることになった。

 テレサには面白い人がたくさんいる。ルクセンブルクの伊藤さんも泊まっているが、朝、皆が起きる頃にはいなくなっており、夜更けに酔っ払って帰ってくる。大学生も休みで何人か来ており、彼らも皆、それなりに面白かった。 可愛い女の子もいた。あと、牢名主のように踏ん反り返っているイトウさん。酔うと人が変わる。つまらぬことで部屋の人間とトラブってキレて出て行ったのに3日後に戻ってきて周囲を驚かせたタロウ(皆、名前がわからずこう呼んでいた)。中でも特に印象的だった人が「サイクリンガー明」という年齢は俺より1つ下の青年。何でも、シンガポールから自転車で来ており、この後は、ポルトガルのロカ岬まで行くそうだ。俺もオランダからオーストリアまで自転車で進んでちょっとは威張った気になっていたが、甘ちゃんだ。その後も、さらにすごい人には会うのだが、彼の場合、そのキャラクターが面白かった。話は旅の話に始まり、オカルト、キン肉マン、量子力学、ヘビーメタル、若者文化、科学哲学、虫、など多岐に渡っていた。「政治、野球、宗教」など、盛り上がらない話はほとんど出なかった。結局、テレサにはその後一週間近くいることになる。
(8/22〜 )



【温泉】

 ハンガリーは温泉のメッカだ。ブダペストをとっても、大小いたるところに温泉場がある。テレサで最も話題に上がっていたが「キラーイ」という温泉で、テレサに置いてある情報ノートにはキラーイのことが事細かにかかれていた(情報ノート とは実際に現地を訪れた人などにより、最新の旅の情報が書き綴られた、ガイドブックよりも100倍面白く役に立つ代物である。ちなみにこの時期の情報ノートには「キン肉マン情報」などというどうしようもない情報まであった)。キラーイは確かに伝統 もあり、ガイドなどでも「キラーイに行かずしてハンガリーの温泉を語るなかれ」などと推薦されていた。しかし、情報ノートによると、キラーイとはハンガリーきってのホモ温泉であり、パートナー探しのための輩が日夜訪れているとのこと。つまり、キラーイではハンガリーの非常にコアな部分に触れることができると言う意味で、ガイドの文言はある意味正しいと言える。


 実際に行ってみた。中央に大きな浴槽があり、その周りを小さな浴槽が取り囲んでいるというつくり。小さな浴槽にはそれぞれのペアーがすでに「プレイ」を繰り広げている。パートナー探しはいたって簡単。大きな浴槽の中央に行くだけ。それがパートナー募集のサインだそうだ。俺はさすがにそれはできなかった。しかし上手くできているものだ。中央のステージでパートナーを探し、首尾よくことが運んだ場合は周りの小さな部屋で情事に勤しむ。キラーイの名声はその構造上の特質から得るべくして得られたものだと言える。



【ホール】

 テレサに来るのは大半が若者だが、おじさんが来ることもある。俺のいた時期には、2人のイトウさんを含めて4人滞在していた。一人はハラダさんというものすごくパワフルな人で、30年以上前から世界を渡り歩き、行ってない国がほとんどない人。もう一人は写真家のヒラノさん。ヒラノさんのことについて書きたい。


 ヒラノさんの写真を先入観なしに見た。一見何の写真か分からなかったが、妙な胸騒ぎを覚えた。ヒラノさんはテレサに来る前、隣国のサラエボである対象と向き合っていた。それは「穴」。日本ではほとんど見ることのない穴。それは弾痕だった。我々、若い日本人にとって弾痕はメディアの世界のものであり、リアルな対象ではない。しかし、その「穴」は、今、隣の国に現実に「ある」。写真には「穴」以外のものは写っていなかった。また、技巧的に脚色されたものでもなかった(本当はすごい技巧なのだろうが)。「客観的な穴」があるだけだった。そこに「意味」「メッセージ」を与えるのは、それに向き合った人間の側(意識)にある。中には戦争の凄惨さをストレートに感じる者もいれば、ヒューマニスティックな反戦の叫びに捉える者もいるだろう。しかし俺が与えた「穴」の意味は「醜悪な美」と「美の醜悪さ」であった。戦争の背景には、民族、宗教、歴史、理想、政治、市場など人と社会を取り巻く様々な事物が絡み合い、その糸を解きほぐす過程に生じる複雑な醜悪さが根を張っている。しかし、撮り手はその醜悪な対象から別の価値を引き出す。それをあえて「美」と言いたい。戦争という世にある最も醜悪な事象と、そこに置かれた対象としての美。それらが「穴」に収斂され、その対象ととことん立ち向かう写真家。そ
こに「事」に「仕」える彼の表現者としての生き方を見た思いがした。


小観光】

 テレサではいわゆる沈没。日がな寝て、食べて、飲んで、しゃべって終わり。皆も「これでは・・?」と思ったのか、宿の3人で近郊まで観光に行くことに。ブダペストから列車で小一時間の、ヴィシェグラードとセンテンドレ。「ドナウの曲がり角」と呼ばれるところで、天気は今ひとつだったものの、なかなかに美しかった。二つの街を訪れ、美しいまちなみを眺めながらワインを飲み、博物館に行き、古城に登り、ドナウを見渡し、古典音楽を聴いたりなど、久々に観光らしい観光。写真も久々に撮った。
( 〜8/30)


      
       (センテンドレで酔っ払う2人)              (ドナウの曲がり角)


      (古城内のバロックコンサート)




<ルーマニア>

9月1日〜7日



【ルーマニア入り】
 8月の最終日は区切りということもあり、沈没していた連中が皆、意を決して出ることに。一ヶ月近くいたサイクリンガー君もついに出る。9月2日からのワイン祭りに後ろ髪を引かれながら。最後の晩は皆で食事に行き、アドレスの交換をした。その夜はなぜか寝つきが悪かった。出会った仲間や旅のことを考えてしまう。


 朝、朝食後にケーキを食べ、郵便局から荷物を送った。日記やらフイルムやら大切なものが入っている。正午、皆に別れを告げ、列車に乗って南下する。再び一人旅が始まる。何度か列車やバスを乗り換え、ナギラックという国境の町に到着。ルーマニアに戻るという親切なおじさんと一緒に進み、ビールをご馳走になる。歩いて国境を越える。ルーマニア側のイミグレで、税関から「金」と言われる。ビザはただのはずだし、断固として金を払うつもりがないことを主張していたが、単なる所持金チェックだった。もめてる間に親切なおじさんはいなくなっていた。時既に暗し。夜道をたどたどしく歩く。すれ違う人に、ただ「ホテル」とだけ告げる。いきなりの東洋人にビックリしていたようだが、誰もが親切に案内してくれた。この日は国境近くのシングルホテルに泊まる。外国人料金で1,000円程度だったが、テレサにいたので高く感じた。
(9/1)


【国境〜ティミショアラ〜ブカレスト】
 国境近くの宿を出て、ブカレスト方面に移動する。今日は途中のティミショアラを目指す。列車が出るのは昼の2時。それまで無為に過ごす。ハエの飛び交う列車がティミショアラに到着した時は、もう暗かった。宿を探すが、英語も通じず会話もままならないのに、人々はよく世話をやいてくれる。安宿が全て満室だったので、中級の2,000円程度の宿に泊まる。

 よく見る夢を見た。高校時代の吹奏楽部で、部長である俺が受験前でコンクールに出られないという夢。それに付け加えて、出られないという通達をルーマニアからしている。いつもの夢に今の現実が入り込んでいた。

 
宿を出て街を歩く。ブダペストで買ったサンダルがちぎれそう。新しいサンダルを買う。一通り街を見た後、中央の広場でチョコレートをかじりながら本を読む。ジプシーの子どもがまとわりつく。鬱陶しいのでチョコレートをあげるが、図に乗ってウエストポーチに手をかけてきたので、立ち上がって怒鳴るとようやく退散。 

 夜の7時頃から切符を買うため駅で並ぶ。乗車客が大きな列をなしているのに、中の駅員は気ままにコーヒーを飲んでいる。8時からでないと販売開始しないんだと。この傲慢さは社会主義の名残なのか。時間と同時に押し合いへし合いが始まる。切符を手に入れたのは列車出発の5分前。冷や汗だ。

 ギュウギュウ詰めの座席で一夜を過ごす。朝方ブカレストに到着。都会だが、何となく暗いイメージ。安宿に向かう。ロビーには柄の悪そうな男がたむろしている。チェックインカウンターまでついてくる。そこでヒヤッとする出来事が。カウンターで係員の仕事を待っているとき、隣に男が来て地図を持ち出し、「どこに行くのか」などと注意を引こうとする。とっさに嫌な予感がし、振り向くと別の男が俺のザックに手をかけていた。反射的に男を蹴飛ばし、危機一髪の事態に事なきを得た。蹴られた男はへらへらしていたが、地図に気を引こうとした男が一言。「ここはジプシーが多いから気をつけろ」と。お前もジプシーやろが。市内を見て周る。
(9/2〜5)



         
(ティミショアラのルーマニア教会)            (国民の館〜別名チャウセスクの家)


【ブカレスト〜バイアマーレ】

ブカレストはなぜか野犬が多い。噛み付かれたら確実に狂犬病になりそうな野犬だ。しかも集団で吼えてくる。怖い。ブルガリア大使館でトランジットビザを取得。3日滞在で53ドル。高い。夕方、イスタンブール行きの切符を買う。民間の代理店なので、公共の駅などと違いスムーズで対応もよかった。


 イスタンブールに行くまでもう2、3日ルーマニアに滞在。ブカレストにはいたくないので、夜行で適当に遠くに行く。ガイドを持たないので、どこに何があるのか分からない。翌朝に着きそうな、バイアマーレという街に向かう。夜行は座席の1等しか空いていなかった。家族連れのコンパートに入る。

窮屈に座っていたためあまり眠れず。朝、6時に家族連れが出て行ったので、横になり寝入る。外はどしゃ降り。9時に到着して目を覚ます。曇ってはいたが雨はやんでいる。とにかく、この街に何があるのか分からないので、駅にあった地図をスケッチし、それを見ながら歩くことに。歩いていると、さすがに東洋人が珍しいのか、「チャイナ」とか「にんじゃ」、「おしん」、「からて」、「ジャッキーチェン」などと声をかけられる。駅から相当な距離を歩いて、ちょっとした街に出る。1,000円程のホテルを見つけ、チェックインする。一眠りして、外に出る。北の方に山が見えるので、その方向に無目的に歩く。悪くない散策だ。


 ルーマニアは宿は高いが、飯や交通費は安い。ブカレストからバイアマーレまで一晩乗って、1,000円かからなかったし、ホテルでの飯もコースが300円程度。今日は贅沢に300円コースで腹いっぱいになる。

 
 翌朝は快適な目覚め。ホテルで200円ほどのブランチを取る。天気がいいので街を歩きまわる。日曜日だからか、教会の周りは人が多く、賑やか。山の方に向かって歩いて行くと、面白い建物に出くわす。木でできた教会のようだ。後から知ったのだが、この地方はマラムレシュ地方と言って、ルーマニアでも特にのどかな牧歌地帯。目の前にある木造教会が名物だそうだ。山の上の方にレストランがあったので、街を見渡しながらビールを飲む。最高。のんびりした後、ちょっとずつ西に向かって歩き始める。もとのバイアマーレの駅に向かって。途中いろんな人から声をかけられるが、シャイなのか、近寄って話すことはなく、笑顔で手を振るだけ。駅に着いた。美しい民族衣装の女性がたくさん。何も言わずカメラを向けるのは失礼と思い眺めるだけにした。座っていると子ども達が集まってくる。「チャイナ?」と聞かれ、「ノー、ジャパン」と答えると、「ジャパン!!」と皆声をあげた。分かっているのだろうか。暗くなり再びブカレスト行きの列車が出発する。

 
 ルーマニアは結局一週間もおらず、しかも、ブラショフ、シギショアラなどの観光地にも行かず、あてもなくさまよっただけ。しかし、知らなかったとはいえ、マラムレシュ地方に行くことができたのは幸運だった。もし行かずにおれば、ルーマニアはなんだか治安が悪く寂しげな国という印象で終わっていただろう。いずれにせよ、もう一度訪れたい国ではある。
(9/6〜7)



          
       (マラムレシュ地方)                    (木造教会)

      
        (祈りを捧げている)                      (再びブカレストへ)




<ブルガリア>

9月8日


【通過】

 あまり熟睡できずに6時頃ブカレストに到着。ブルガリア行きの列車は昼過ぎに出る。少し時間があるので「国民の館」まで行くが。ものすごく場違いな建築物だ。中に入ることはできなかった。駅に戻り、夜行列車に乗る。18時間程度の列車の旅だ。2等の寝台列車を選んで正解。思った以上に豪華な客間だった。きちんとカーテンで仕切られ、シーツもピカピカ。ブルガリアでは、僅かに車窓からの景色を眺めながら、もっぱらコンパートメントの同乗者と話をし、眠るだけ。


 4人乗りのコンパートには俺と男性が一人おり、その男性はルーマニア大学で数学を教えている。教授か助教授だ。さすが非常に博学で、日本のことなども俺以上に詳しい。最近、あまり聞くことのなかった英語もペラペラ。話は日本の映画からインド音楽まで多岐に渡る。俺はひたすら合図地を打つだけ。


 17時間の列車の旅も終わりに近づく頃、トルコ入国のためのパスポートコントロールがあり、列車から一旦出ることになった。眠い目をこすりながら、パスポートに入国スタンプを押してもらった後、おかしな列車を見た。寝台列車なのだが、本棚のようなベッドが殺風景に備え付けられているだけのもの。カーテンもシーツもない。この列車は一等と二等しかないはず。俺が乗っているのは二等の寝台。チケットにもそう書いてあるし、車内では何度か車掌もチケットをチェックしにきたから間違いはない。あれは何等だったのか。それとも、俺が外国人だから特別の優遇があったのか。最後の最後に不思議な思いをした。どちらにせよ、快適な列車の旅だった。さあ、イスタンブールだ。
(9/8)



<トルコ(イスタンブール)>

9月9日〜26日



【イスタンブールに到着】

 朝、8時。イスタンブール中央駅に到着。旧市街の安宿通りまで歩く。目指していた「ホテル・アヤソフィア」はすぐに見つかり、チェックイン。ドミトリーが満室だったので、ちょうどシェア待ちをしていた日本人と、ツインルームをシェアする。腹が減ったので、外に出てドネル・ケバブという羊肉をフランスパンで挟んだようなものを食べる。美味い。イスタンブールに来て、旅の風向きが一気に変わったことを感じた。そして、ここイスタンブールには向こう3週間滞在することになる。
(9/9〜)
イスタンブールはアジアとヨーロッパの中継地点で、文化、宗教、物流など様々にクロスオーバーしている。それだけに、エキゾチックな魅力に富み、旅人達も一つの目的地点として一旦腰をおろすことになる。ヨーロッパではあれほど日本語に飢えていたのに、ここではまるで日常会話のように話すことができる。嬉しいことだが、寂しい感じもした。

 日本の旅人は圧倒的にアジア方面からの来人が多く、俺のようなヨーロッパ組は少数だ。アジア方面からみると、イスタンブールはヨーロッパに見えるようだが、俺は逆にアジアを猛烈に感じた。イスタンブールとはそんなところだ。



       
           (バザール)                        (ボスポラス海峡)

       
        (ブルーモスク)                      (アヤソフィア)




【バックパッカー】
 イスタンブールは本当に日本人が多い。学生やツアーの団体客もいるが、何より多いのがバックパッカーと言われる、もっぱら長期自由旅行を生業とする旅行者だ。彼らのほとんどが旧市街の安宿に滞在しており、それも宿ごとに国柄が出ており、国ごとのにわかコミュニティが出来上がっている。

 俺が初めて海外に行ったのは大学一年生の夏の韓国で、その翌年には再び韓国を訪れ、その足でインドに飛んでいた。そのインドで初めてバックパッカーという存在を知った。飛行機で来た俺たちとは違って、彼らバックパッカーはネパールやパキスタンから国境を徒歩で越えて来た。当時、俺は彼らのことが正直「すごい!そんな人たちもいるんだ!」と思っていた。そしてその「すごい人たち」がここイスタンブールにたくさんいる。


 バックパッカーの持つ価値基準は人それぞれではあるのだが、「日本を出てからの長さ」が暗黙裡に基準として設定されているようだ。初対面で会うと、「長いんですか?」があいさつとなり、長い方が「上」で、短い方が「下」となる。俺自身も高々一ヶ月程度の旅行者などは見下しの対象にしている時期もあった。しかし、その後の中東、アジアと旅を重ねるにつれ徐々にバックパッカーに対する微妙な違和感を持つようになっていた。


 そのような違和感をもたらすバックパッカーの習性として、

@旅は長い方が偉い、

A初対面でため口、

B自己主張が強い、

C何かと説教が好き、

D掟が好き、


などがあげられる。具体的に言うと、@は既に述べたようにすぐに長さを競い合うこと。Aは旅の長い人ほどよく見られがちで、ため口により親密性を共用したいのだろうか。Bは「旅の基本は長くゆっくり!そうでないとその国が理解できない!」とか「ガイドブックを頼りにするのは旅ではない!」など、個人の旅行に対する考えを強要しようとする。Cは物を高く買ったり、ビザ取りにモタモタしたりしている人などを捕まえてはアドバイスと言いながらだらだらと説教をたれること。Dは俺が目にしたものを言うと、例えば「トラベルネームで呼び合おう」とか「この部屋の消灯は2時」とか決まりごとを作りたがること。そしてこれらの習性に従わない旅行者は何となくその安宿に居辛くなったりする(つまり排除される)。


 そうなると、バックパッカーと呼ばれる人たちは世界を股にかけた自由な旅人と称しながらも、実のところは狭い社会に好んで身を置きたがっているだけようにも見える。言うなれば「土地限定性のない村的コミュニティの住人」であろうか。


 もちろんバックパッカーの全てが一様にそうではないし、バックパッカーには日本でなかなか会えない人種の人たちが多く、それはそれで接していて面白い部分もあるし、人間的にも魅力的な人がいることも事実。


 まあ、あまりその世界にドップリ身を浸さず、適当にキョリを取りながら、気ままに旅していくことが楽しい旅の極意じゃないかと自分で考えたりした。


【ビザ取り】
 イスタンブールではこの先に訪れる国々のビザを取るという重大な仕事がある。インドとイランのビザだ。特にイランのビザは他国では取り難いらしく、必ずここで取っておく必要がある。先ずは新市街のインド領事館までインドビザの申請に行く。イムラさんというバイクで世界を周っている人と一緒に行く。そして5日後に再び一緒に取りに行くが、イムラさんはすんなり取れたのに俺のだけがまだだと。理由は大阪のインド領事館から俺のデータが送られてこないからだと。その後も、2度、3度とインド領事館に電話してビザの取得を促すのだが「大阪から返事がない」でなかなか取れない。パスポートを預けっぱなしなので、両替もままならない。インドビザの取得のために2週間も無目的にイスタンブールに足止めさせられ、しかもパスポートを預けているため観光もできない。

 さすがに俺も痺れを切らして、直接領事館に乗り込んでいった。しかし、「まだだ」の返事。さすがの俺もキレると、領事も「お前は本当に大阪に住んでいるのか?」と。そこでピンときた。俺の住民票があるのは福岡。大阪は本籍で親の住所。そのことを説明すると、「日本人はいつも問題を起こす」といい、数分後にビザを発行してくれた。

 あれほど待たせるのだから慎重に手続きをしていると思いきや、最後は口頭での説明だけですんなり発行。インド。よく分からない国だ。

 一方、イランのビザはあっけないほど簡単に取れた。

【旅友】
 イスタンブールではたくさんの日本人と会ったが、何かとつるんでいた人に、没有!さん、カッキー、風次郎さんらがいる。この3人はここで会った中でもとりわけ印象の深かった人たちである。


 「没有!」とはもちろん本名は別にあるトラベルネームだが、いつも「没有」と書かれたTシャツを着ている。中国でよく聞くフレーズをそのままTシャツに用い、現地でかなりうけたそうだ。彼はいわゆるマニアの部類で歴史や城にやたらと詳しい。絵も上手い。イランを3ヶ月旅行し、その後のイラン旅行のバイブルとして多くの旅人の助けとなった「イラン情報ノート」をまとめた人物である。クセがないわけではないが(そもそもイランを3ヶ月旅する人が爽やかであるはずもないか)、性格は温和で結構お世話になった。

 カッキーはトラベルネームと言うわけではないが、いつもこう呼ばれており、とにかく騒がしい人物。彼もマニアには違いなく、中国語が達者で列車や駅に詳しい。彼とはその後もしばらく同行することになる。

 風次郎さんは実体のよくつかめない福島弁丸出しのおじさん。


 まあ、こんなとこか。

      
(ハンガリーでも会った川井さん(左)と没有さん)             (ロカンタ−食堂)



【いかりや長介】

 この時期、バックパッカー社会を沸き立たせた大きな話題がある。それはいかりや長介氏の訃報である。この話はイスタンブールの安宿間を一気に駆け抜け、会う日本人が皆、このことを話題にしていた。いつものロカンタでも、各々のドリフ観を語り合い、近々、日本で追悼番組があろうから電話してビデオに取ってもらおうとまで話していた。もちろんデマの可能性もあるのだが、今しがたイランからバスで到着したという日本人も、テヘランで聞いたとのことで、話せば話すほど真実味が増してきたのである。

 しかしその話題はすぐに消沈することになる。俺が日本に電話したことによって。俺も多分に漏れずドリフ世代の一員としていかりや長介には並ならぬ愛情がある。久々に日本に電話し、そのついでに「追悼番組ビデオとっててや」と親に言うと「誰の追悼番組や」との返事。いかりや長介の訃報はまったくのデマだったのである。ちなみにその電話中、たまたま通りかかった日本人女性旅行者が俺の声で立ち止まり、受話器を切って振り向くやいなや、「いかりや長介死んだんですか!」と。もちろん本当のことを言ったが、エネルギーの大きなデマである。誰が流したのか知る由もないが、いかりや長介とは絶妙な人選だ。


 後で聞いたのだが、同時期、タイのチェンマイでも同じように噂になっていたとか。人選もさることながら、バックパッカー社会の狭さを身をもって知った話題である。

【出発】
 長いイスタンブール滞在を終え、ようやく次のステージに向かう。ここでは結局ビザ取りに時間を費やし、だらだらと時間を浪費していたような。最終日は船でアジア側まで行ってみる。特になんてことはないが、今日中に次のエジプトに着くと、一応、1日でヨーロッパ、アジア、アフリカの3大陸に上陸することになる。夕方、宿をチェックアウトしバスで空港に向かう。同伴はカッキー。イスタンブールには19日いたことになるが、美しい街だった。また。
(〜26日)