≪魔法使い養成講座ζ≫ チャリ旅トークライブ【金運の術編10】
ツアー最終日、東京。広島から10都市を走り切った。最後の日は、100年前の歴史から始まり、箱根の峠、香りと精霊、そしてAIには出せない言葉へ。この旅で新しく加わった概念があるとすれば、精霊だ。前半はフリートーク、後半はテキストに沿って「金運の術」を話した。
その日のしゃべりを、まとめておく。
前半 フリートーク
その日その場で話したこと
広島、大阪、奈良、京都、名古屋、静岡、横浜、大宮、千葉、そして東京。10か所を、2週間ちょっとで走ってきた。だいぶ焼けた。顔の皮がむけてきて、腕時計の跡は真っ白だ。
今回の旅には、前段がある。この夏、東ヨーロッパを自転車で走った。途中からブルガリアのジャズフェスティバルに行く予定で、自転車を持っていくのは難しい。5〜6年乗ったガタガタの自転車を、向こうで手放すつもりで、ろくに整備もせずに出かけた。前輪のゴムが劣化しているのはわかっていた。1週間しか乗らないのに替えるのはもったいない。そんな貧乏根性が、案の定あだになった。
その前に、熱中症寸前にもなった。水分が尽き、でっかいスーパーかと思って入ったら普通の会社だった。門番さんに止められ、「もう死にそうなんだ」と訴えたら、大きなペットボトルいっぱいの水を持ってきてくれた。そこにあったスプリンクラーに、服のまま飛び込んだ。その翌日、また自転車が壊れた。これはもうやめろということだ、と思ってやめた。
途中で断念したのは、
これまでの旅で初めてだった。
不完全燃焼だった。だから今回、大阪・富田林の実家に新しい自転車を送り、そこから走り出した。西日本は会場が少ないので、広島へは新幹線でぶっ飛ばした。雨は初日だけ。10月の秋晴れの中、新しい自転車で爽快に走れた。台風が近づいても、僕が行くと逸れてくれた。
そして今日、完走した。自転車でトークライブをする旅は、2010年11月に始まった。『夢が叶うとき、何が起こっているのか』を出したころ、昔からの夢を叶えようと、福岡から広島、大阪、名古屋、東京の5都市を回った。あまりに楽しくて、それからほぼ毎年やっている。韓国にも自転車で行った。
この2週間で何が一番変わったかと言えば、AIだ。日単位で変わっていく。キャッチアップするのが大変なくらいだ。
今回の旅で決定的に違うのは、毎回録音していることだ。それをそのままAIに上げる。「あー」「えー」や聞き取れないところも、文脈を読み取ってちゃんとした文章にし、まとめてくれる。「この部分はセンシティブで実名も入っているので省きました」と、忖度までしてくる。
昨日の千葉では、かなりセンシティブな話をしまくった。AIが忖度してごっそり削りそうだったので、いったん「全部入れてくれ」と頼んだら、かなりヤバいものが出てきた。そこから伏せるところを伏せた。見たくなる話が多いはずだ。
10都市分のテキストを、
「本にしてくれ」と頼めば、本になる。
Facebookには毎日、写真も行程も、何にいくら使ったかも書いている。全部合わせれば、Kindleで出せるかもしれない。僕はこれまで13冊ほど本を書いてきたが、書くのも編集も大変だった。それが、自転車に乗りながらしゃべったことを録っておくだけで、1冊分になる。半年かかるような企画が、3日でできてしまう。一種の実験だ。
会場で聞いてみると、AIに課金している人がだいぶ増えた。全国ではまだ数パーセントというデータもある。でも一度AIで仕事を始めたら、もうAIなしでは仕事ができなくなる。
まずは不吉な話から。歴史の話だ。
100年前の1918年ごろ、スペイン風邪が大流行した。そして第一次世界大戦。パンデミックは、だいたい4年で終わると言われる。天然痘で藤原四兄弟が亡くなったころもそうだし、スペイン風邪も、コロナも、だいたい4年で収まった。
1920年代になると、フォードが車の作り方そのものを変えた。熟練工がカンカン叩いて1台ずつ作っていたものを、ベルトコンベアと分業で大量生産するようになった。作れば売れそうな雰囲気に、銀行はお金を貸しまくった。でも気がつくと、買う人が減っていた。供給ばかりが増えて、需要がなくなった。そして1929年、世界大恐慌が起きた。
パンデミックのあとに、
大量生産の時代が来る。
今、コロナのあとにAIが来ている。動画も文章も、AIで生成したものが大量にあふれている。「ゆっくり解説」の機械音声も、最初は聞けたものではなかったのに、いつの間にか脳が慣れてしまった。半導体やAIの株は、どんどん上がっている。100年前とよく似ている。
歴史好きで、論理的に考えたい僕から見ても、100年前とシンクロしている。頭打ちが来れば、必ずこういうことが起きる。だから僕は、数年前に買っていたある半導体株を全部売った。話題になってから買ったが、それでも2倍になっていた。
30年置いておくなら、何があってもいずれ回復する。でも、お金は使うものだ。そして使うには、年齢がいる。海外旅行をバリバリ行けるのは、80歳手前くらいまでではないか。以前、80代の方から「NISAを始めようと思うんですけど」と相談されたとき、「今あるお金を、何かいいことに使ったほうがいいんじゃないですか」と答えた。
お金を貯めて普段は質素に暮らしていた有名な方が、大病をきっかけに「もっと使っておけばよかった」と後悔しているという記事も出ていた。貯めても、使わなければゼロだ。旅に出る。人と交流する。もっと気分がよくなる使い方が、たくさんある。
ちなみに、昔の漫画『キャプテン』の主人公のお母さんは、中学生の母なのに、こめかみに白い膏薬を貼った完全なおばあさんとして描かれていた。今の35歳は、完全にギャルだ。あの白いのは、低気圧の頭痛を和らげるためのものらしい。この旅でも低気圧の体調不良のニュースがずっと流れていて、僕も確かに調子が悪かった。
ここからが、言いたいことだ。1929年の世界大恐慌のあと、1933年ごろにニューディール政策が始まった。名前は知っていても、説明できる人は少ない。御成敗式目と同じだ。
中身は、公共投資だ。国が国債を発行して借金をしてまで、ダムや鉄道を作り、仕事を増やす。それが乗数効果でお金を膨らませると理論化したのがケインズで、その通りにやったらうまくいった。同時に、失業保険や年金、医療保険といった社会保障にも目が向き始めた。
では、今度経済危機が来たら、受け皿はどうするのか。公共投資で仕事を増やそうにも、その仕事を全部AIがやってしまう。
毎日僕のYouTubeを見ている人は気づいたはずだ。1週間ほど前から、いきなり変わった。見出しが効果音とともにポーンと出て、テロップが全部ついている。チャプターまでできている。自転車に乗り、トークライブをし、知り合いと飲みに行き、寝ている僕が、なぜあんなに編集できるのか。
9月23日、
動画編集者は完全に失業した。
その日にClaude Opus 5.5が出た。動画を上げて「いい感じに編集して」と頼む。ここを変えてと何度か言うと、それを覚えて次から踏まえてくれる。10分の動画が20分で仕上がり、その間に僕は別の仕事ができる。7月には大量にホームページも作った。言いたいことを言うだけで、ページになる。プログラミングもいらない。
何の仕事も残らない、と言う人もいる。残るとすれば、遊びのジャンルだ。フィジカルAIも出てくる。中国のコンビニのレジは、もうロボットだ。来年、東京には無人タクシーが100台やってくる。スマホで呼んで、ドアを開けたら運転手がいない。
だから受け皿は、ベーシックインカムか、ユニバーサル・ハイインカムしかない。極端に言えば、月100万円。国からお金をもらって生きる時代が、あと5年以内に来るのではないか。その前に、経済危機が来る。
でも、あまり気にしなくていい。日本にいる限り、何があっても生きていけるし、食べていける。
もう一つ、頭の片隅に置いておいてほしい話がある。来る、来ると言われ続けて、なかなか来ないもの。南海トラフ地震だ。富士山の噴火、首都直下型と合わせたトリプルパンチが、いつか来ると言われている。
ただ、「意外と大丈夫なんじゃないか」という説もある。詳しい人に聞いた話だが、その根拠は、ここでは書かずにおく。能登も熊本も、東日本大震災も、阪神淡路大震災も、いきなり来た。南海トラフは、ずっと「来る」と言われて対策されてきた。どうせいつか来るなら、対策が十分にされているときに来たほうが、まだいい。
今の僕らの手には、
スマホとAIがある。
阪神淡路大震災のときにスマホとAIがあれば、亡くなる人はずっと少なかったはずだ、という話もある。そのうえで、本当に大切なのは、孤独でないことだ。熊本で地震があれば、福岡の僕を誰かが気にしてくれる。関東で地震があれば、僕も何人かに連絡する。LINEでも、XでもThreadsでもいい。普段からつながっておく。友達を作り、いろんなイベントに顔を出す。
これは人の受け売りだが、揺れたときに真っ先に確保するのは、靴だという。パニックで裸足のまま飛び出して割れたガラスを踏んだら、それだけで戦意喪失する。歩けなければ逃げ遅れる。「よし、靴だ!」。それだけでも、今日来た甲斐があるかもしれない。
そして、デマに気をつける。ネットで流れてくる情報の9割はデマだと思っていい。スピリチュアル業界や陰謀論の界隈では敵視されがちだが、信じるべきは政府の公的な情報だ。デマを信じたせいで、助かるはずの命が失われることもある。同じ状況になるなら、助かる側にいたい。
今回、富士山のふもとを通った。自転車で箱根の峠を越えたのは3回目だが、前の2回はどちらも土砂降りで、景色が見えなかった。今回初めてわかった。静岡側と神奈川側は、まるで雰囲気が違う。
静岡側は道幅も歩道も広く、自転車には助かる。ところがナビでショートカットコースを選んだら、石畳の道に入ってしまった。旧箱根街道だ。その出発点が、三嶋大社だった。そこで僕は、「今から峠を越えさせていただきます」と手を合わせたばかりだった。
昔の人は三嶋大社でお参りし、団子を食べてお茶を飲んで、この道を歩いて行ったのだ。参勤交代の行列も、追われる落ち武者も、ここを通ったのか。込み上げるものがあった。道の途中には、明治天皇がお休みになったという祠まであった。歴史を見ていると、どうしても皇室が好きになってしまう。
峠を越えて神奈川側に入った瞬間、関所があり、土産物屋があり、一気に賑やかになる。それで思い出した。インドのガンジス川だ。
ガンジス川は、バラナシのあたりでS字に曲がり、南から北へ流れている。西岸のバラナシはお店もホテルもあって、めちゃくちゃ栄えている。東岸は、何もない。行ってみたら、本当に不毛の地で、犬が少しいるくらいだった。東の岸を、彼岸と呼ぶ。こっちがこの世で、あっちがあの世。ガンジス川は三途の川のモデルではないかと、僕は思っている。
富士山のこちら側は、
あの世なのかもしれない。
古事記や日本書紀に、ヤマトタケルが東へ遠征する話が出てくる。熊襲を討ち、相模の国へ向かう。必ず富士山を見ているはずなのに、その記述がない。これは結構有名な話だ。富士に巨大な王朝があったのではないか、という説もある。宮下文書のように、偽書と言われるものに書かれている話だ。ファンタジーかもしれない。でも富士山には、雄大というだけではない、何とも言えない神聖さを感じてしまう。
実は僕は、宇宙人否定派だ。それを言うだけで嫌われるのだが。
いるか、いないかで言えば、いるに決まっている。僕らがいるのだし、宇宙はとにかく膨大だ。問題は、コミュニケーションだ。地球にいる虫とさえ、コミュニケーションは取れない。犬となら雰囲気で通じ合えるが、言葉のレベルでは無理だ。犬や猫や虫とできないのに、宇宙人とできるとは思えない。それに、遠すぎて来られない。
でも、ひょっとしたら、
今ここにいる気がする。
たとえ話だが、結構マジだ。僕らが想像する宇宙人は、NASAに捕らわれたようなヒューマノイド型だ。でも、そんな形をしている保証はどこにもない。ものすごく小さいのかもしれない。僕らには見えていなくても、向こうからは見えている可能性がある。
宇宙人的な存在も、精霊的な存在も、この旅で「これはいる」とわかった。そして、それを裏付ける話が次々と集まってきた。
後半 金運の術
テキストに沿って
テキストの「まずは1億円」。その極意は、1億円への道は意識した瞬間から始まる、ということだ。すべては意識ありき。まずは、この動画を見てほしい。白いシャツのチームが何回パスをするか、数えながら。
何回だっただろうか。……では、答え合わせ。
正解は15回。でも、数を当てることが目的ではない。パス回しの最中に、ゴリラの着ぐるみが横切って、胸を叩いている。めちゃくちゃ目立つ。なのに、パスを数えていると見えない。「何か物体が横切るので当ててください」と言われたら、100人中100人が見える。30年ほど前、大学の心理学の授業で見た実験だ。
関心のあるものしか、
見えない。
僕は「48時間以内にすごいことが起こる」という動画をたくさん出している。それを素直に見て、嫌なニュースに目を向けず、頭をお花畑にして過ごした人から、「本当に奇跡が起こりました」という報告がたくさん来る。オカルトでも霊能でもない。意識をどこに向けるか、というだけの実験だ。でもそれが、人生のすべてだったりする。
一度ゴリラを見てしまうと、見えなかった状態には戻れない。ある音楽家が、ソニー・ロリンズに感動していたのに、プロになって何をしているかわかってしまい、純粋な気持ちに戻れなくなったと言っていた。
僕も同じだ。ハッピーじゃない自分には、もう戻れない。YouTubeの再生数が少なかろうが、会場がガラガラだろうが、絶対にいいことが起こると完全に思っている。申し訳ないが、不幸に思う思考パターンの人の気持ちが、はっきりとはわからない。それは、自分でそう決めただけなのだ。
僕らの年になると、目の前に黒いものがチラチラ見えないだろうか。飛蚊症だ。目はむき出しの臓器で、レンズの向きにも古代のバグがあるらしい。飛蚊症が来て、老眼が来て、白内障が来る。順番なのだ。うちの両親も白内障の手術をしたら、めちゃくちゃ見えるようになったという。
飛蚊症を何とかしたくて、眼科に行った。「今の医学では治らないんですよ。でも、そのうち見えなくなりますから」。脳は、自分にとって不必要なものを見なくなるから、気にしなくていいというのだ。
めちゃくちゃ、
自己啓発的な言葉じゃないか。
確かに、普段は全然見えない。フォーカスしたときだけ見える。ということは、逆もあるのではないか。世の中には、精霊が見える人がいる。
今日配った黄色い図形は、第3チャクラのヤントラだ。ヤントラは図形、マントラは言葉、タントラは体。身・口・意を三位一体にすることで悟りを開く。それが真言密教の教えで、僕はこの7月に阿闍梨になった。僕の場合、チャクラは8つある。いつもの7つに、宇宙のチャクラが加わる。開演前に流していたのは、天才ジャズピアニストの阿部篤志さんがチャクラごとに即興で弾いた『玉響』だ。
もう一つ、人間にとって大切な要素がある。香りだ。2023年、バリ島での魔法使い養成講座で、「チャクラに対応した香りが欲しいけど、アロマの知識が全然ない」とこぼした。すると参加していた女性が、カバンから「これですよね」とパッと出した。ドラえもんの四次元ポケットか。聞けば、昔から香りの道を研究し、セラピストや講師も育ててきた人だった。
その夜、食事のあと、お酒も回ったところで、みんなで香りをいただいた。すると、あるIT企業の社長さんが突然「うおお」と言い出した。「なんで皆さん見えないんですか。一人ひとりの背中に、柱が見えますよ」。近づくと声が聞こえる。もやもやしたものが、たくさんいる。本人は一人でパニックになり、香りが抜けるまで、夜中の3時までヴィラのプールに浸かっていたという。見えすぎて怖かった、もうあの香りはごめんだ、と。
それでもバリは気に入って、毎年来るようになり、ヴィラを建てることになった。地鎮祭に、仲間のマーケッターの方が同行した。その人は土地に立つなり「ああ、バリの霊ですね」と言った。物心ついたときから見えるのだという。「日本の霊は上から降りてくるけど、バリでは下から上がってくるんです」。
社長がAIで描いていた絵を見せると、
「これです」。
社長は、自分が見たものを全部AIで描き残していたのだ。二人が同じものを見ている。見えすぎてしんどくないのか、と聞くと、社長は言った。「だから僕は、これを手放せないんですよ」。出してきたのは、大祓詞だった。大祓詞に命を救われた人は、僕の周りにも何人かいる。話が、つながっていく。
僕も修行をする人間だ。でも、想像を絶する地獄の苦しみを味わったことは、たぶんない。古来、人はなぜ千日回峰行や虚空蔵求聞持法のような苦行をするのか。神に近づくため、仏になるためだ。
天台宗の千日回峰行は、7年かけて千日、山を歩き通す。熊よけの鈴をつけ、五穀を断ち、肉も食べない。口にするのは果物と蕎麦くらいだ。若くしてそれを成し遂げた塩沼亮潤さんは、何が一番きつかったかと聞かれて「虫歯」と答えたという。たんぱく質がとれず、歯がボロボロになるのだ。インドには、生まれてからずっと手を挙げたままで硬直してしまった行者もいる。シヴァ神に会うためだ。密教で言えば、不動明王に会うためだ。
空海は7歳のとき、崖から身を投げて命を賭けたという話がある。僕の滝行の仲間は、2歳のとき食中毒で危篤になり、葬式の準備までされていたところで、雷か何かの音とともに蘇生した。物心ついたころから「あのおじさんは屋根の上を飛んどる」と言っていたらしい。
想像を絶する苦しみをくぐり抜けた人は、
見える体質になるのではないか。
僕の仮説だ。僕自身は霊が見えないから、霊はいないと言ってきた。嘘をついている人もいるかもしれない。でも見えている人たちの証言を並べると、どうしても辻褄が合ってしまう。
結局、意識なのだ。毎日「24時間以内にすごいことが起こる」と自分に言って過ごしている。今日は12時間にした。すると、起こってしまう。この2週間のチャリ旅は、毎日がその連続だった。知人のふるちゃんが突然「Opus 5.5でQさんのショート動画を作ってみました」と送ってこなかったら、今も編集でグダグダしていたはずだ。
同じように、精霊を見ると決めた。本当にそういう形で見えているかは別として、精霊の存在を感じてしまった。ナビに従っただけかもしれない。でも、普通の人は絶対に行かない旧箱根街道に入り、明治天皇の祠にたどり着いた。精霊が、そこへ連れていったのだと思う。
AIは、穴埋め問題で言葉を作っている。「むかしむかし、あるところに◯◯とおばあさんがいました」。◯◯に入るのは、99%「おじいさん」だ。確率だけで選ぶから、「東京ディズニー」の次に「ランド」と「シー」を取り違えたりもする。それがハルシネーションだ。でも高速で回り続け、AIがAIを育て合うフェーズに入った今、どんどん正解に近づいている。作曲でも何でも、AIがやっているのは「正解」なのだ。
今朝、千葉を8時に出なければならなかった。夜中1時過ぎまで作業して、6時に起きた。眠い目をこすっていたら、何もしていないのに、藤井風さんの昔のピアノ動画が流れ始めた。
僕が藤井風さんを知ったのは、ある歌手とやりとりしていて、石川ひとみさんの「まちぶせ」のサビのコード進行を調べていたときだ。学生服を着たお兄さんが、ただ「まちぶせ」を弾いているだけの動画があった。なんやこれ、と最後まで見てしまった。ほかの動画も見始め、気づけば2時間。2018年ごろ、「この人は将来、日本を代表するアーティストになる」とコメントを書いた。T-SQUAREの「宝島」を弾いている動画に、僕のコメントが今も残っている。
あれは、
穴埋め問題じゃない。
作曲AIのSunoが出てきたとき、エモい曲ができて「おお、ええやん」となった。でも今、誰も話題にしない。全部同じに聞こえて、胸を打たないからだ。
わかりやすい例がある。「今日、仕事で失敗しまくって、めっちゃ◯◯だ」。AIなら99%「落ち込んだ」を入れる。でも松本人志さんは「へこんだ」と言った。そんな日本語は、それまでなかったはずだ。なのに、めっちゃわかる。「逆ギレ」もそうだ。日常語になった言葉が、たくさんある。天才とは、そういうことだ。ジミー大西さんも、ある番組で「もんまりとした」という言葉を生み出した。「ふんわり」「ふっくら」ならわかる。「もんまり」なんて言葉はない。でも、ちょっとわかるし、面白い。辞書にない言葉を生み出す才能だ。
数学に、漸近線という考え方がある。グラフがどこまでも近づいていくのに、永遠に接しない線だ。AIと人間は、どこまで近づいても、イコールにはならないのではないか。そのギリギリのところを大切にしていけば、AIに踊らされずに、人間らしく生きていける。
AIは効率を高め、正解へ導く。でも、効率や便利さという正解が、人間のすべてではない。効率から外れたところ、見えなくなっていたところに、精霊がいる。感性を磨く。精霊を見る。それが、AIではない生き方だと思う。
休憩中、写真に写った光の玉の話になった。ただのオーブ、埃だと思う。ただ、僕はよく現象学の話をする。フッサールが提唱した哲学で、浪人時代から大学にかけて、ハマって読んでいた。そのおかげで、本やブログを長々と書けるようになったのかもしれない。
夜、タオルがかかっているのを、幽霊だと思った人がいるとする。科学的に言えば、それはタオルだ。でも現象学的に言えば、その人がそれを幽霊だと体験した、という現実は変わらない。それによって「見えない世界が見えるようになった」と世界が広がったなら、そっちのほうが大切ではないか。客観的に何なのかより、その人が物事にどう向き合っているかに焦点を合わせる。20世紀の哲学や、フランス現代思想にも大きな影響を与えた考え方だ。
「それはただの埃です」と言うのは、
はっきり言って、面白くない。
この間ニューヨークから帰る飛行機の窓の外に、UFOが飛んでいた。何かの見間違いだ、と言うこともできる。でも僕は、それがその人の人生にどう影響を与えるかに、フォーカスしたい。
今日来たのも、間違いなく精霊の導きだ。精霊は、文字通りの精霊でなくてもいい。天使でもいい。見えない世界は必ずあって、赤ちゃんにはたぶん見えている。必要なものだけが見えるのがAI的な生き方なら、不要だけれど見える世界がある。そこにフォーカスすれば、また違った人生が展開できるのではないか。
1億円の道は、もうくどくど説明しない。まずは自力で100万円を貯める。そこから突破口が開け、あとは精霊の導き、天使の導きで、思った通りに開けていく。自転車の乗り方を一度覚えたら、乗れない自分には戻れない。精霊も一度見えてしまったら、見えない目には戻れない。今日来た人たちなら、1億円と言わず、国家予算を目指していい。
「とりあえず貯金します」では、エネルギーが出ない。「まずは口座に100万円を入れます」というコミットから始まる。そして、目標だけを見ていると、なかなか到達しない。その次の目標を、常に見据えておく。
僕にとっての次は、よかプロジェクトだ。九州に、「よか」と言うだけで病気を治したという聖者、松下松蔵がいた。ちょうど同じころ、高千穂神社と、東大阪の枚岡神社を訪ねた。天照大御神が岩戸に隠れ、天児屋根命が祝詞を唱え、天鈿女命が踊って、みんなが笑い、岩戸が開いた。その二つが、僕の中で結びついてしまった。
岩から、出てもよかよ。
生まれたときは、たぶん精霊も見えている。でも不要なものとして見えなくなり、同じように自分の可能性も狭めていく。「1億円なんて無理」「どうせ無理」。人から言われもする。それが岩戸だ。だから「よか」なのだ。岩戸から出るのは神話の話ではなく、僕らの心の中、人生の中で必ず起こることだ。
その合言葉を「YOKA」という曲にし、サルサの先生に習って踊り始めた。この旅が終わったら、クラウドファンディングを始める。CDに加えて、乗船券をつけたい。どこへ行くかわからない船だ。まずはオープンチャットで情報を発信し、ダンスチームを結成するかもしれない。100人くらいいたら面白い。土日を2回使って合宿し、最後に動画を撮る。顔出しNGなら、お面でもいい。みんなで踊り狂って、岩戸から出る。その先は、大きなイベントになるかもしれないし、武道館かもしれないし、みんなで韓国に行くかもしれない。野望だ。でも僕には精霊がいるから、必ずしかるべきところへ導かれる。
10月28日には、玉響コンサートの第6弾がある。チャクラを活性化する音楽の横で、僕は聞こえないようにずっとマントラを唱える。最後の第8チャクラでは、阿闍梨として儀式をし、阿部さんのピアノとともに、みんなの願いを大日如来に届ける。
この20年、いろんな活動をしながら、一貫して妄想を書きまくってきた。こうあればいいな、ああなればいいな。それが、実現してきた。書いたもん勝ち、言ったもん勝ちだ。
ENDING
最後は、浄化・封入・結界。真言宗の葬儀や修法でやっていることと同じだ。身を清め、道場を作り、大日如来をお迎えしてもてなし、真言を唱えて対話し、お帰りいただいて道場を閉じる。願いと今の自分とのギャップを浄化し、印を組み、ヤントラを見て、マントラを復唱する。書いた願望を思い描く間、大日如来に届けた。ネガティブな想念が浮かんでも気にしなくていい。都合のいいことだけ持っていってもらう。今年の修行の中で大日如来から降りてきたメッセージを入れた「守巻物」も、欲しい人に持ち帰ってもらった。一生に一つ。本当に困ったときだけ開けるお守りだ。
ゴリラも、精霊も、幸せも。
意識を向けた先に、それは現れる。
10月28日(水)夜、紀尾井町サロンホールで「玉響コンサート」第6回を開く。阿部篤志さんのピアノ、窪みさとさんのトランペット、手島甫さんのベースによるチャクラの音楽の横で、阿闍梨になった僕が真言を唱える。最後の第8チャクラでは、阿部さんのピアノとともに願いを天に届ける儀式をする。
広島から東京まで、10都市。
同じ話は、一度もしなかった。