十二支は、十干より二つ多い
天中殺の話は、とても単純な算数から始まります。
十干は十、十二支は十二。この二つを頭から順に組み合わせて干支をつくっていくと、十干がひとまわりしても、十二支はまだ二つ残ります。十干と組めなかった二支が、必ず出てくるのです。
甲子、乙丑、丙寅……と組んでいって、十干が一巡したところで、十二支のうち二つだけが、相手を持てずに余る。この「相手のいない二支」こそが、天中殺の正体です。誰の宿命にも、この余りの二支が、決まった場所に組み込まれています。
「天が無い」とは、何事か
天中殺は、「天が無い」「天が中(あた)って殺(そ)がれる」などと言われます。けれど暦を見れば、どの年にもちゃんと天干は乗っています。甲子の甲、乙丑の乙。天干のない年など、暦のどこにもありません。なのに「天が無い」とは、何事でしょうか。
からくりは単純です。天中殺が「無い」と言っているのは、暦の天ではありません。あなたの巡りの中で、相手が来ない場所のことなのです。これを、ダンスチームの話でお伝えします。
人数の合わない、二つの組
あるダンスチームを思い浮かべてください。メンバーは、天干組と地支組の二手に分かれています。天干組が十人、地支組が十二人。同じチームなのに、二つの組で人数がそろっていません。
このチームでは、一年に一度、地支組の一人が舞台に立ち、天干組の誰かと組んで踊ります。次の年は次の人、また次の年は……と、順ぐりに巡っていく。けれど、組む相手である天干組は十人しかいません。地支組は十二人。二人分だけ、相手が足りないのです。この「二人分の足りなさ」こそが、天中殺の始まりです。
私が、ひとりで踊る二年
私自身の巡りで話します。私は甲午。だから午の年から始まって、まず甲さんと組みます。翌年は未になって乙さんと。その次は申で丙さんと。以降、酉は丁さん、戌は戊さん、亥は己さん、子は庚さん、丑は辛さん、寅は壬さん、卯は癸さん――と、天干組の十人と、順に手を取っていきます。
そして、十人と踊り終えたあと。私に回ってくる辰の年と、巳の年。この二年だけは、組む相手が残っていません。私は、ひとりで踊ることになります。
これが、私――辰巳天中殺です。辰と巳に天が消えたのではありません。甲さんも癸さんも、どこかで元気に踊っています。ただ、その二年、私の番に、パートナーが来ない。それだけのことなのです。「天が無い」のではなく、「私に天が回ってこない」。天中殺とは、そういう縁の薄い二年、二つの場所のことなのです。
ひとりで踊る年は、決まりにくい
ひとりで踊るのが、悪いわけではありません。けれど、相手のいる踊りとは、どうしても勝手が違います。支え合う手がない。呼吸を合わせる相手がいない。だから、いつものようには決まらず、足元が少しふわつく。天中殺の不安定さとは、この「相手のいない年の、踊りにくさ」なのです。
ここで、いちばん大事なことを言います。これは、あなたの踊りが下手だからではありません。ただ、相手が来ていないだけ。腕が落ちたわけではないのです。だからこの二年に、大きな振り付けをひとりで背負い込もうとすると、空回りします。むしろこの時期は、無理に大技を狙わず、基礎をさらい、次の相手が来たときのために振りを磨く。そんなひとり稽古の時間だと思えば、天中殺はぐっと軽くなります。
こんなグループが、六種類ある
さて、余る二支は、人によって場所が違います。私のように辰と巳が余る人もいれば、子と丑が余る人、寅と卯が余る人もいる。二支ずつ、ちょうど六通り。天中殺には、六つの種類があるのです。
子丑天中殺、寅卯天中殺、辰巳天中殺、午未天中殺、申酉天中殺、戌亥天中殺。そして、この六つはそれぞれに性格を持っています。空いている場所が、ルーツにあたる天なのか、前へ進む東なのか、子孫の南なのか、他者の西なのか、自分自身の中央なのか。留守にしている場所が違えば、宿命のどこに余白があるのかも変わり、生き方の傾向も変わってきます。
自分の代から始める人。枠を飛び出していく人。人と人のあいだで生きる人。六つの天中殺は、それぞれにまるで違う物語を持っています。その一つひとつは、これから順に、じっくり見ていきましょう。
ちなみに、同じ天中殺どうしは相性がいいと言われます。似た者としてわかり合えるのは確かですが、同じ場所が空いているぶん、現実を支え合うには互いを補う相手のほうが向く、とも考えられます。
留守の場所は、欠けた場所ではない
最後に、これだけは覚えて帰ってください。天中殺は、不運ではありません。欠陥でも、呪いでもありません。宿命にひらいた余白であり、ひとつの個性です。
相手の来ない二年、二つの席。そこは確かに、少し心もとない場所です。けれど、ひとりで踊る時間は、自分と向き合う時間でもある。誰にも合わせなくていい、自由な時間でもある。事実、枠にはまらないその余白を、大きなばねにして飛んでいった人が、たくさんいます。留守の場所は、欠けた場所ではなく、まだ何も置かれていない、あなただけの余白なのです。
知ることは、怖がるためではありません。味方につけるためです。自分の余白がどこにあるかを知った人は、もう、知らなかった頃より確かに強い。