天中殺は、ふつう「めぐってくる」ものです。十二年に二年、十二か月に二か月。ところが、めぐってくるのを待つまでもなく、生まれ持った命式のなかに、自分の天中殺の支をはじめから抱えている人がいます。それが、宿命天中殺です。
そもそも
時間ではなく、場所の天中殺
めぐる天中殺が「いつ」の話だとすれば、宿命天中殺は「どこ」の話です。命式の年支や月支といった特定の場所が、生まれつき天中殺になっている。つまり、その場所だけ、天の恵みが届かない、枠のない不確実な状態で生まれてくるのです。
先に、いちばん大事なことを言います。宿命天中殺は、誰もが持つものではない特殊な約束事ですが、善悪も吉凶もありません。良い悪いは、あくまで周りの背景しだい。これはその人の個性です。学ぶ目的は、環境と運命をどう一致させるか、つまり処世術と開運法を考えることにあります。
面白い性質をひとつ。宿命に天中殺を持つ人は、いわば生涯、天中殺のなかを生きているに等しい。だから、後天運として天中殺がめぐってきても、その影響をさほど受けません。生まれつきの免疫です。
総論
欠落は、埋めたくなる
欠落といっても、そこに何もないのではありません。そこにあるものが、不確実なのです。枠がない、と言ってもいい。枠がないから、固定観念がなく、人が考えないような発想が出る。感性が豊かになる。不確実さは、大きな可能性と裏表です。
ただし、本人はその欠落を埋めようとして、人一倍、懸命になります。ふつうの人より根深く、深刻に。まわりからは、やりすぎ、考えすぎに見えます。集団のなかでは、だんだん常識の枠と合わなくなり、生きにくさを感じやすい。これが宿命天中殺を持つ人の、共通の輪郭です。
処世法は、はっきりしています。天中殺にあたる部分を、不特定の人前では稼働させないこと。一般の人にはさらりと接し、信頼できる人にだけ、とことん心を開く。そして、人を介在させずに自分の想念のなかで完結できる世界、学問や芸術のような分野で第一人者を目指すこと。それが、この個性のいちばんの開運法です。
七つの形
どこにあるかで、名前が変わる
生年天中殺 ― 東方の欠落
日干支から出した天中殺の支が、年支にある形です。年柱は親と目上の場所。ここが不確実になるので、親との縁が薄く、本人から見て親が不自然な存在になります。自分の心が親に通じない、わかってもらえない、と感じることが多く、若くして親と離別することもあります。社会に出てからも、目上に理解されにくい傾向が出ます。いっぽうで、枠のなさは才能です。創造やアイディアの世界では強い。開運は、親元を離れ、早く独立すること。他国で生きるのも吉とされます。
生月天中殺 ― 中央の欠落
天中殺の支が、月支にある形です。中央は、自分自身であり、家系の流れであり、時間で言えば「現在」。ここが欠落すると、心の中庸が取りにくく、現実へ傾けば利得一辺倒、精神へ傾けば信仰の世界へ、と極端が出やすくなります。そして「今」が欠けているので、現実をこつこつ積み重ねることが苦手。結果として、運勢が急に上がり急に下がる、変動の多い人生になりやすいのです。
向くのは、未来を考える仕事、夢を売る仕事。企画や立案は良いが、実行は実行力のある人に任せたほうがいい。開運は、これもやはり、親元・生家を離れること。養子、結婚、離郷、外国暮らし。家系のカラーの外に出たとき、人生の本番が始まり、枠のない才能が開花します。
生日天中殺 ― 西方の欠落
ここだけ、出し方が特殊です。生年干支から出した天中殺の支が、日支にある形です(生年干支から天中殺を出すのは、この生日天中殺と互換中殺のときだけです)。日支は物事がまとまる西の場所。ここが不確実になるので、物事の締めくくりがまとまりにくくなります。親から見て理解できない子、心配をかける子になりやすく、長男・長女の役目を果たそうとすると行き詰まりを感じます。結婚は、早いと親との対立が深まり、晩婚のほうが運命的に安定します。これも、親元を離れると宿命が稼働しはじめます。
日座天中殺 ― 甲戌と、乙亥
日干支そのものが、甲戌か乙亥の人です。六十干支の並びで、天中殺の座に自分が座っている形。物事の出発は吉、終了は凶とされ、結果をつかむことが苦手です。だから、後始末や締めくくりの役目は避けたほうがいい。西が極端に欠けるぶん、エネルギーは東、つまり仕事へ二倍傾きます。知恵の回転が速く、感性が鋭く、特殊な才能を持ちます。そのぶん頑張りすぎて、人より疲れやすい。
この形の面白さは、不完全に美あり、という一言に尽きます。きれいに完結させるより、どこか欠けたままのほうが、うまくいく。成功の秘訣は、養子や結婚などで自分の家を出て、他家へ入り込むこと。結婚は、帰る場所を持たない者どうし、たとえば国際結婚のような形が合うとされます。
日居天中殺 ― 甲辰と、乙巳
日干支が、甲辰か乙巳の人です。この二つの干支は寅卯天中殺。つまり東(前進)がなく、日居として西(結果)もない。東西、すなわち現実がまるごと欠けている形です。そのかわり、南北の精神と、中央の自分は残っている。現実を持たない精神の人の姿は、周囲に理解されにくい一方で、ものすごい迫力を放ちます。物事の終わりが美しくまとまりにくいので、家業を継ぐことには向きません。
宿命二中殺 ― 日干支しか、ない
生年天中殺と生月天中殺を、両方持つ形です。年も月も欠落し、確かなのは日干支、つまり自分だけ。自分しか頼れない宿命です。その孤独は、しかし、精神の世界では強さに変わります。宗教や仏門など、精神社会において大成し、高位に登る天命とされる形です。
互換中殺 ― 親子で、交差する
生年干支の天中殺が日支にあり、同時に、生日干支の天中殺が年支にある形です。たがいに、が条件で、片方だけでは互換中殺になりません。親から見ても子から見ても、たがいが不自然で異質な間柄。初代の気を持つ一代運で、自分一代で仕事を築き、自分で閉じます。生涯を受け身で生きれば波乱を避けられる。波乱の人生を選ぶかどうかは、本人しだいです。
二階建て
欠落の欠落は、反転する
ここが、宿命天中殺のいちばん難しく、いちばん面白いところです。六種の天中殺には、それぞれ生き方の条件がありました。子丑・辰巳・戌亥は初代運、寅卯・申酉は後継ぎ運、午未は末代運。ところが、そこに生年や生月の宿命天中殺が重なると、その条件が打ち消されるのです。
たとえば、子丑天中殺は、親の恩恵を受けず、親元を離れていく初代運です。そこに生年天中殺が重なるとどうなるか。「親元を離れる」という宿命そのものが天中殺され、親元を離れられない人になります。やむを得ず親のものを継ぐ。ただし内心は、離れたい、初代でありたいと思っている。だから継いでも、中身を変えて継ぎます。
逆もあります。寅卯天中殺は本来、親の恩恵を受けられる後継ぎ運です。生年天中殺が重なると、後継ぎの気質を持ちながら、後を継げない。親との縁が薄くなり、ときに、本来は用心深いはずの寅卯からは考えられない、無鉄砲な前進力さえ生まれます。
マイナスにマイナスを掛けると、プラスになる。天中殺という「欠落」に、宿命天中殺というもうひとつの「欠落」が重なると、意味が反転する。この二重否定の構造さえつかめば、宿命天中殺の読みは、怖くありません。
ひとの間
人と人との、天中殺
天中殺は、個人よりも、人と人との集団を見るときに、いっそう効きます。同じ天中殺を持つ二人は同一中殺。運命のサイクルが似通い、内面を理解し合えますが、結びつきが濃いぶん、こじれたときの溝も深い。たがいの日干支が天中殺し合う二人は相互中殺。東洋人と西洋人のような、まるで異質な二人が、細く長く助け合う形です。このあたりは、相性の記事で改めて書きます。
欠けている場所は、不確実な場所。そして不確実とは、可能性のことです。
宿命天中殺は、病ではなく、個性。埋め方ではなく、活かし方を考えてください。