合法が四つ、散法が四つ、特殊四種。位相法の主役はもう出そろいました。けれど、実際に後天運を読んでいると、必ず出くわす場面が二つ残っています。めぐってきた支が、宿命の支と「同じ」だったとき。そして、「何の約束事もない」とき。今回は、この二マスを埋めます。
比和
同じものが、二つになる
大運や年運の支が、宿命の支とまったく同じになる。これが比和(ひわ)です。まず押さえてほしいのは、比和は、融合でも分裂でもない、ということです。合でも散でもなく、「別々」。同じものが、隣に、もうひとつ並ぶのです。
だから意味は、人生の区切り目となります。ひとつが終わって、ひとつが始まる。現象としては、引越し、あるいは仕事がもうひとつ増えて二本立てになる、といった形で現れます。悪い知らせではありません。章が変わる、ということです。
広がりの度合いで合の仲間たちと並べると、半会、支合、方三位、比和の順とされます。つまり比和の広がりは、いちばん静かです。派手さのない、けれど確かな節目と考えてください。
注意点が二つ。まず、亥・午・酉・辰の四つの支は、同じ支が重なると比和ではなく、自刑として読みます。もうひとつ、支だけでなく干まで同じになる場合は、律音です。同じ「重なり」でも、律音は一段強く、もう一人の自分が生まれるほどの変化になります。比和は、その穏やかな親戚です。
無条運
何もない年の、読み方
後天運の支が、宿命のどの支とも、何の約束事も結ばない。これを無条運(むじょううん)といいます。合もなく、散もない。位相法の盤の上では、何も起こらない年です。
この年は、物事が平均的に流れ、運気は他力的になるとされます。他力的というのは、運の流れのなかに、自分発の原因が生まれにくい、ということです。自分で起こした波ではなく、まわりから来る流れに乗って進む年。凪の海と思ってください。
凪は、退屈かもしれません。けれど、悪いことでは決してありません。散法もないのですから、壊れもしない。私はこの年を、土台を整える年と読んでいます。帆を張っても風は吹かない。ならば、船体を手入れし、海図を読み直し、次の風に備える。合がめぐってきた年に大きく走れる人は、たいてい、凪の年をそう使った人です。
ここまで書いて、気づいたことがあります。「何もない」というマスまで埋めてしまうと、位相法の盤から、空白がなくなります。つまり、後天運にも命式にも、常に何かが「ある」。それが人生だということです。合の年があり、散の年があり、区切りの年があり、凪の年がある。いろんなことが、ある。そのぜんぶに、いちいち身構えていたら、身がもちません。
だから、ひとつひとつを気に病む必要はないのです。むしろ、逆です。毎年かならず何かがある、と知っていること。それは、今日という一日を丁寧に生きるための、きっかけになります。
人生には、いつも何かが、ある。
だから、気にしない。だから、丁寧に生きる。