「かたみち切符」作者のプロファイル

名   前 石田Q二 
性   別 男♂
誕 生 日 2月27日
出   身 大阪府
血 液 型 B型
前   世 僧侶(チベット)
キ ャ リ ア 塾講師(国語)→まちづくりコンサルタント→フリーランス

好き
インド、アメリカ、ハンガリー、日本、アイルランド
都  市 バラナシ、ニューヨーク、コロラド、ブタペスト、九州、アラン島
食べ物 炊き込み御飯、豚汁、カレー、おにぎり、魚介類、アボカド、みかん、スイカお酒
音  楽 M.ペトルチアーニ、D.ゴードン、C.パーカー、V.A.モーツアルト、R..シャンカール、V.モリソン、G.ジルベルト、ドリカム、北村英治、谷口英治、他多数
作  家 藤原新也、遠藤周作、宮本輝、高杉亮、妹尾河童、小泉武夫、E.フッサール、弘兼憲史、藤子F不二雄、手塚治虫、東野圭吾、五日市剛、斎藤一人、ナポレオン・ヒル、NLP関係、他多数
芸能人 島田紳助、松本人志、志村けん、大滝秀治、コロッケ、田原俊彦有吉弘行、狩野英孝(50TA)、菅野美穂
嫌い
たばこ


歴史

 現在、覚えている一番古い「夢」は、2歳頃、母親からお尻にパウダーをつけられる夢。二番目は4歳頃、おばあちゃんの家の天井から侍が下りてくる夢。三番目は5歳頃、知らないおじさんにミニカーに乗せられ連れて行かれる(誘拐される)夢。三番目は怖くて一年くらいトラウマになっていた。その夢の詳細を述べるとこうである。父、兄と3人で店で冬服を見ているところ、道端のミニカーがいきなり巨大化して、突然、知らないおじさんに乗せられ連れて行かれてしまう。窓越しに振り返ると、父、兄は私を追うのを諦めている。しかし、知らないおねえさんが必至で追いかけてくる。それが誰なのか、幼心にずっと気になっていたが、そのせいか、私はなぜか窮地に立たされると「俺は誰かに守られている」と思うことがある。

 小学低学年の時は、改造人間になると決めていた。でも、人から馬鹿にされると、右腕の一部だけ改造してパワーを倍増するなどとせこい返答をしていた。どうせ言うなら頭の先から変身せえや!!、と、今、過去の俺につっこんでいる。

 高学年の時は、なぜかリコーダーに凝っていた。リコーダーは小3でもらうのだが、教室で何気なく吹いたチャルメラが、周囲の同窓たちを驚嘆させ、ちやほやされたのにことは始まっている。小5の時、転校生の阿部君と一緒にリコーダーのクラブをつくった。そして、中学でブラバンに入りクラリネットを始め、今も続けている。

 もう1つ凝っていたのがプロレス。当時はマジにレスラーになるつもりで、ジャンボ鶴田式のトレーニングを仲良しの俊哉君と毎日やっていた。また、キン肉マンが非常に流行っており、俊哉君と一緒にキン肉マンの絵を描いてよく遊んだ。俊哉君は現在、プロのデザイナーになり、東京でいい仕事をしている。彼がもっと有名になれば、一緒にキン肉マンを描いていた話をし散らすつもり。ちなみに、初めてかったジャンプは48号。ロビンマスクがマスクをはがされる回。こんな些細なことに限って、死ぬまで覚えているものだろう。

 中学生の頃のことは、あまり記憶がない。きっと楽しくなかったんだろうな。でも、モーツアルトに出会い、音楽にはまり始めたのもこの時期だった。

 高校生の時は楽しかった。女の子とも大分話せるようになっていた。初恋は高校一年生の夏。学校生活もブラバンの部活も寮生活も楽しかった。この当時の友人とは年賀状と結婚式で会うくらいだが、一生「心の友」でいられるんだろう。

 大学受験に失敗して浪人。先の同級生は半分が大学に行っている。彼女ができただの話が恨めしく、暗黒時代が訪れるかと思うが、そうでもなかった。この時期は、人生の大きなターニングポイントだった。ある予備校の講師に猛烈に影響を受け、これまでほとんど読んでこなかった「本」を読み始める。猛烈に。哲学書が多かった。好きになったのがデカルトやフッサール。認識の出発は自らの「思う=主観」であり、それこそが客観世界(=社会)を構成しているという考え方に共鳴した。私が近代科学(特に医学)に懐疑的であるのと、社会(≒会社)に今ひとつ順応しないのは、その時からかも。

 進学のため、それまでの大阪を捨てて九州に移住する。大学の4年間はいろいろ経験した。まだまだ、多感な時を過ごした。恋もした。ジャズにはまった。酒の味を覚えた。インドにも行った。勉強もそれなりにした(が、自分のしたい勉強だけで、単位はあまり取っていない)。いろいろありすぎて書ききれない。

 4年になって就職活動を始める。なぜか教育関係(塾・予備校・出版)の会社ばかり受ける。理想があった。テンションはめちゃくちゃ高かった。でも意中の会社から蹴られる。ちょうどその時、所属していた市民オーケストラでヨーロッパに演奏旅行にいき、共演した山下洋輔氏(ジャズピアニスト)から、「旅をしていると、信じられない経験をいろいろするものだよ」と言われ、就職活動を中断する。帰国後、工場でバイト。半年で100万円貯めた。

 大学卒業してから旅に出るつもりだったが、その後のことなど何考えてなかった。ある時、大学の恩師とその友達らと飲む機会があり、その中の1人から「お前なんか旅したって、向こうでくだらんことして堕落するだけ」と、無目的的な私に対しボロクソ言う。その時の恩師の言葉。「大学院受けなさい。旅から帰ると勉強したくなるよ。もし勉強したくなかったら、やめればいいだけ。」と言われ、大学院を受ける。受かるが、入学式の日に休学届を出す。

 大学卒業して旅に出る。(1997年)

 旅から帰り、復学する。いろいろ勉強する。その間失恋し、傷を癒しにアイルランドに行く。また、修士論文提出後にカンボジアに旅行。(1998〜1999年)

 大学院修了後、さらに進学するも半年で退学。人生で一番空虚な時期を過ごす。それを埋めるがごとく、塾講師のバイトをしながら、就職活動を開始し、まちづくり関係の会社に入社。(2000年)

 社会人一年目。仕事に燃えていたがいろいろ苦労する。吹奏楽団ノアール・アンサンブル・ウインズに入団し、音楽を再開する。いい仲間が増える。インドネシアに旅行。(2001年)

 社会人二年目。さらにいろんな分野に挑戦する。会社の内外でいろんな人と知り合い、人脈が広がる。つきあいはじめる。カナダとラオスに旅行。(2002年)

 社会人三年目。仕事の要領がわかってきて、ちょっと楽をし始める。しかし、会社の業績の悪化が目に見え始める(業界全体に疲弊が進む)。個人的にはスリランカへの旅行をきっかけとして、スピリチュアルな経験が増え始める。(2003年)

 社会人四年目。ホームページを開設。人生で最も濃密な毎日を送っているかもしれない。音楽活動を休止するが、スピリチュアルな体験は増えるばかり。縁あって滝行を始める。仏教に関心を持ち始める。ミャンマーに旅行。自分の生き方、世に対する使命などを漠然と考えている。(2004年)

 2月に「21日滝行」を敢行。4月で4年間の会社生活を終える。5月に21日間インドに行き、数々のアクシデントを得ながら、運命の占い師より啓示を受ける。私はこの先、運命に従いながら生きることで、幸せな人生を送ることができるのだ。フリーランスとしてビジネスを始める。(2005年)

 100日滝行満行。全国行脚開始。ベトナム旅行など。(2006年)

 初セミナー、そして全国展開。結婚。新婚旅行はバリ島。(2007年)

 ますます全国展開。出版を進める。Qさんと行くインドツアー。(2008年)

 さらに精力的。出版予定。(2009年)