古典音楽の雀
私は、ここ10年ほどJAZZばかり聴いていますが、その昔は大のクラシックファンでした。それもモーツアルトについてはキ○ガイの部類に入っていました。
そんな当時のこと思いながらも、再びクラシックの扉を叩いて見たいと思います。
「古典音楽の雀」は「古典音楽のススメ」のかわいいバージョンです。あしからず。
W.A.モーツアルト:クラリネット五重奏曲イ長調K.581
「古典音楽の雀」の最初の一曲目は、やはりこの曲に登場してもらうしかないようです。もしもこの曲に出会わなかったら、その後の私の人生は大きく変わっていたことと思われます。おそらく、この曲に出会わなかったら、今頃は体育会系の人間になっていたと思います。多分、ボクシングのジムには通ったことだと思います。
なぜなら、中学3年生の夏、所属していた吹奏楽部を辞めようと思っていたとき、この曲と出遭って、音楽を続けたいと思い直したからです。私を世界地図に例えると、この曲は太平洋くらいの存在感があると言っても過言ではありません。
思い出します。私は中学高校と寮生活をしており、中3の夏休みを残り10日と残すあの暑い夏、私は帰省中で実家にいました。6畳の和室には扇風機がぶんぶん回っています。何気なく手に入れたポリドールグラモフォンのカセットテープを、おもむろにラジカセに入れた瞬間流れ出てきた音楽の衝撃たるや。私は「クラリネット五重奏曲」と聞いて、てっきりクラリネットが5本の曲と思っていたのに、突然、弦楽四重奏の下降する和音で始まるゆったりとした調べ。「なんじゃこりゃ?」と思う間もなく、突然、地の底から天に駆け上るようなクラリネットのアルペジオ!。そして生まれて初めて感じる音楽の躍動!
5人の役者による対話に続く第2主題はチェロのピチカートにのり、ヴァイオリンがとてつもなく美しいメロディを奏でる。それを受けて、クラリネットがマイナーとメジャーの間を行き来しながら、さらに美しい調べを歌うのです。この瞬間、私の涙腺から熱いものが「わっ」と出てきたのを覚えています。
その後はほとんど放心状態でラルゲットの第2楽章、メヌエットとトリオの第3楽章、主題と変奏による第4楽章を聴いたものでした。いつの間にか、一曲が終わるやいなや、巻き戻して再び同じ曲を聴きました。その日は何度も何度も。ご飯を食べている時以外は。翌日は少し落ち着いたのか、余裕が出て、この感動を何かに伝えたくなり、側で「こち亀」を読んでいる弟にキン肉バスターをかけたものです(パロスペシャルだったかもしれません。単なるヘッドロックだったかもしれません)。
曲の説明なんかほとんどしていませんが、とにかく、中学3年生の純粋で多感な時期に、この曲に出会えた時の状況をおわかりいただけたでしょうか。私がこの曲を聴いて、初めて音楽に「涙」したのですが、実はこの曲はイ長調というメジャーな調性であるにもかかわらず、幸せいっぱいの中にそこはかとない「哀しみ」が感じられるのです。それを中3の初めて聴いた日に感じ取り、涙いっぱいになったのです。
その後、私が暇さえあれば読んでいた本に、井上太郎著「モーツアルトのいる部屋」(新潮社)という本があるのですが、ここではこの五重奏曲についてこうかかれてあります。
「私はこの曲を聴く時、秋の夕暮れを思わずにはいられない。そのすみわたった空の向こうに浮かび上がるモーツアルトの顔は、涙にぬれている(同著323頁)」、と。
今読むと何とも陳腐な表現です。井上氏は早稲田の理工学部の出で、レトリックに長けていないのは無理ないのですが、実は、当時はこの陳腐なフレーズに妙に共鳴していたものです。しかし、陳腐な言葉の中にもきちんと、「幸せの中の哀しさ」が表現されているではありませんか。
「幸せ」と「哀しみ」が完全に同居している、なんて人間臭い曲なのでしょう。これは神の曲であると同時にやはり人間の曲でもあるのです。モーツアルトのクラリネット五重奏曲はやっぱり今でも私の最愛の曲なのです。
【お雀演奏】
■カール・ライスター(cl)&ベルリンフィル・ゾリステン(録音196○年)
上記の私が初めて聴いたレコードがこれです。曲がりなりにもクラリネットを2年は吹いていたのですが、これは正直別の楽器だと思いました。ありえない、と思いました。例えば、第一楽章の最後でクラリネットがスタッカート16分音符の早い上昇フレーズの後、ソ・ドシ(後は下降半音階)の「ソ」から「ド」にうつる瞬間なんて、神の音使いです。すぐに知ったのですが、この曲はA管を用い、ライスターはドイツ式の楽器を使っているので、我々が普通に使うB♭管のフランス製の楽器とは「楽器が違う」のです。しかし、それでもクラリネットってこんな音するんだと、今でも思わせられます。素晴らしい。
■デビッド・シフリン(cl)&チェンバー・ミュージック・ノースウェスト(録音1985年)
こちらはフランス製の楽器を使っているようですが、実はバセットクラリネット(高音域クラリネット)というこの曲本来の楽譜に合わせた楽器を使っています。当時の音に忠実であるばかりでなく、シフリンという人は、この曲を吹くためにクラリネットを吹いているかのような老獪な演奏をします。
■リチャード・ストルツマン(cl)&東京カルテット(録音1990年)
好き嫌いがあるかもしれませんが、私は好きです。ランスロよりも湿気のあるチリメン・ビブラートが特徴ですが、その実、ピアニッシモを吹かせてはライスターと唯一肩を並べられる、正統派の演奏者だと思います。モーツアルトはピアニッシモを聴くべし、の原則に則れば、ストルツマンも立派なモーツアルト吹きだと見なしていいでしょう。
■ベニー・グッドマン(cl)&ブダペスト弦楽四重奏団(録音1938年)
ベニー・グッドマンのモーツアルトですよ。テンポはめちゃくちゃ速過ぎです。音の切れ目を感じさせずに、疾風のようにモーツアルトが翔けていきます。アーティキュレーションが微妙にジャズしている部分が何箇所かあります。常に取り出して聴くわけにはいきませんが、時々聴く分には「さすが」と思わせられます。
■エリック・ヘープリヒ(cl)&18世紀オーケストラのメンバー(録音1987年)
18世紀の古楽器を使った演奏ですので、まずはピッチの低さが耳に入ります。キー・システムの発達していない楽器でよくぞここまで吹けるな、と思います。演奏もオーソドックスでなかなかいいですよ。
W.A.モーツアルト:オーボエ四重奏曲ヘ長調K.370
初めて音楽に感動したのが上記のクラリネット五重奏曲であるならば、それとカップリングされていた曲がこれ、オーボエ四重奏曲ヘ長調です。これを聴くと、今でもあの暑い夏の昼のひと時を思い出します。クラリネット五重奏曲が哀愁に満ちた晩年における、ひと時の儚い春日を想起させるのに対し、オーボエ四重奏曲は曇りのない空から注ぐ健康的な日差しを想わせます。涙を流させるようなことはありませんが、やはりモーツアルトらしい疾走感(詩人アンリ・ゲオンはモーツアルトの音楽全般に流れる情感を『走る悲しさ』と読んでいますが・・)を感じさせます。
この曲は全般的にオーボエに協奏曲的な役割が与えられています。クラリネット五重奏曲になると、クラリネットと弦楽四重奏が完全に対等に溶け合っているのに対して、四重奏曲においては独奏楽器をあくまで独奏として扱っているところにモーツアルトのある種の若さ(未熟さ?)を感じることがあります。私はこの曲を聴いてオーボエの輝かしさ、素晴らしさを知るきっかけになったもので、室内楽曲史上の名曲中の名曲であることに誰も異論は挟まないと思います。
第一楽章は細かなパッセージと伸びやかなロングトーンとが対照的に構成されており、オーボエの魅力を余すことなく伝えています。全体的に協奏曲的であるとはいえ、第一楽章だけは多分に「室内楽的」であり、第一ヴァイオリンとの掛け合いが多用され、さながらデュオ・コンチェルタンテの様相を呈しています。最後部には小さなガデンツアが挟まれ、再び燦々と輝くお日様の如し第一主題に戻ります。
第二楽章は一転して物悲しさが曲調を支配し、弦楽による主題の中から突如としてオーボエの通りの良い音色が鳴り響きます。その後は、弦楽の伴奏に乗ってオーボエによる哀感のある抒情的なメロディが静かに歌われます。
そして第三楽章に至り、再び一転して春の日を迎え入れます。ここではオーボエはかなり独奏的であり、中盤には超絶技巧とも言える息の長い細かいパッセージが響きます。ロンド形式にもかかわらず、最後にはテーマが登場しないながらもごく自然な形で曲が閉じられます。
音楽学者のアルフレート・アインシュタインは主著『モーツアルト、その人間と作品』の中でオーボエ四重奏曲についてこう論じています。
「これは傑作である。コンチェルタントな精神と室内楽的精神の結合という点で、これに比較し得るのはモーツアルト自信の晩年のクラリネット五重奏曲(K.581)だけなのである。」、と。
つまり、クラリネットとオーボエによるそれぞれの室内楽曲は、このジャンルにおける金字塔であり、これらの楽器の愛好家ならずとも真に誇り得る名曲中の名曲なのです。
【お雀演奏】
■ローター・コッホ(ob)&ベルリンフィル・ゾリステン(録音196○年)
上記のカール・ライスターによるクラ5とカップリングされていたのがこれ。オーボエの音をまともに聴いたのはコッホによる演奏が初めてであるため、「何て美しい音色だろう」と感激しながらも、未だにそれ以上の美しい音色を聴いたことがありません。オーボエでありながらクラリネットのような柔らかく瑞々しい、そして引き締まった音がコッホの音で、国籍を問わず「One
& Only」の音です。もちろん演奏も素晴らしいのですが、とにかく「音」を聴いて欲しい一枚です。
■ハンスイェルク・シェレンベルガー(ob)&フィルハーモニア・カルテット・ベルリン(録音1981年)
コッホに継いだベルリンフィルの主席奏者であるシェレンベルガーの演奏。音自体はコッホほど特徴的ではないものの、モーツアルトの曲想にマッチした伸びやかな表情と豊かな音使いが魅力でしょう。どうでもいいことですが、この人、音楽と一緒に数学を専門的に学んでいたのだとか。音楽家に理系が多いとは言いますが・・・。